バカなわんこの話
-- 2009-01-21 Wednesday
かっとなってやった、今はすっきりしている。
ムヒョロジです。
今でも時折、どうしようもなく不安になる。自分の何が必要とされているのか、確かめたくなる。
醜い欲求が頭をもたげるのは自分でもどうしようもできなくて、何とかそれを隠そうと押しこめてしまうしかない。
それでも、君はそれを見ない振りなんてしてくれないから。隠し通せるわけがないなんて、分かりきったことだから。
「なんだそのツラは」
いつものようにソファで寛いでいたムヒョが、読み途中には珍しく手元のジャビンから顔を上げる。
なるべく目が合わないように前髪で隠したつもりだったのに、無駄な抵抗だったようだ。
ほかほかと湯気を立てるティーカップをテーブルに置いた途端、手首を掴まれた。
ばさ、と音がして、ジャビンが無造作に床に落とされたことに気が付く。
「泣きべそかきやがって」
ムヒョはそういうけれど、涙など一筋も流れていないし、目も赤くなってなどいないはずだ。なのに、彼は分かるのだ。
「……」
ムヒョには、僕の流していない涙までが見えるから。
何も答えない僕に、ムヒョが苛立った様子で眉を顰める。鋭いその視線を、僕は真っ向から受け止めることが出来ない。
「目に見える形で示してやんネェと不安か?」
俯いたままでいると、そのまま強く手を引かれた。不意打ちに、僕の身体はあっけなくバランスを崩してソファに倒れこむ。
混乱する頭で、背もたれに助けられながらなんとか上体を起こすと、いつの間にか立ち上がっていたムヒョが正面から僕を見下ろしていた。
どうしていいのかわからずにいると、ムヒョが無造作に床に膝をつく。
お互いの立ち位置のちぐはぐさに、余計混乱する。普段彼は僕とこんな位置関係に収まったりしない。ムヒョはいつでもソファに悠然と脚を組んでいて、床に膝をつくのは僕の役目だ。
そのまま、す、とムヒョが頭を垂れるのを呆然と見ているしか出来ない。そのまま寝癖つきの艶やかな黒い髪はどんどんと位置を下げていって、床すれすれになるまで止まらなかった。
足先から伝わった柔らかく暖かい感触に、びく、と身体が跳ねる。
彼、は。
「や、」
床に手をついて。
ムヒョが、僕のつま先にキスをした。
「だぁっ!」
反射的に身体が逃げて、無我夢中でソファの上を這った。ず、と腰が滑って、何も分からないまま無様に床の上に落ちる。
肩を打った。痛い。そんなことはどうでもいい。
「ごめ、なさ」
僕はなんてことをしてしまったんだ。なんてことをさせてしまったんだ。
彼に、ムヒョにあんなことをさせてしまうなんて。
「ごめんなさい…っ!」
がたがたと身体が震え出して、熱く湿り始めたまぶたを隠すように顔を覆った。
僕はバカだ。大バカ者だ。
「……め、さ……」
あまりのことに喉が勝手にしゃくり上げて、まともな声すら出せなくなる。ムヒョにあんなことをさせてしまうなんて。自分が執行人の権限を持っていたなら、今すぐ僕自身を地獄に送ってやりたい。
神聖なムヒョの領域を汚してしまった。木偶の坊だ。バカ犬だ。クズだ。カスだ。
「ふ……ぅ、く」
ぼろぼろと溢れる涙は、簡単にゆびの間を通り抜けてしまって隠すことすら出来やしない。
そのまま芋虫のように這って床にうずくまっていると、ぱた、とムヒョ特有の軽い足音がして身が縮まる。近づく気配に、ぎゅう、とまぶたを閉じた。
「ホントにオメェは」
こんなときでもムヒョの声は低く、滑らかで、ずしりと僕の頭に響く。隠した僕の表情を暴くように腕を掴まれても、抵抗一つ出来なかった。
強く引かれて、されるがままに身を起こす。座り込んだ状態でちょうど立ったムヒョと目が合う視線の高さに、思わず俯いた。それすら許さぬように、今度はムヒョの手のひらがまぶたを覆う形で僕の顔に押し付けられる。
何も見えない。僕の涙でムヒョの手が濡れる感触の畏れ多さに、びくりと肩が跳ねた。
「世話が焼けるな」
呆れ果てたように吐き出された、優しいため息交じりのその声は、僕が世界で一番大好きな声だった。
視界は塞がれたまま、それでもぎゅう、と背中に回された腕の感触に、抱き締められたのだとすぐに分かる。
視界を覆っていた手のひらも離れて同様に僕の後ろ頭を押さえつけたけれど、今度はムヒョの胸に抱かれているせいでワイシャツの白しか視界に入らない。ちら、と視界の端に映るサスペンダーの赤はいつものムヒョの色だ。
じわりと伝わるムヒョの高めの体温に、じくりと胸に痛みが走った。
ムヒョは、優しい。
「バカはバカなりに」
こんな僕にも、ムヒョはどうしようもないくらい優しい。
何でもない顔をしてさも簡単そうに、あんなことまでできるのだと当然のように示してくれた。ムヒョがそうまでしてくれる自分の存在を卑下していたことを、心の底から後悔する。
「余計なコト考えンな」
ムヒョはいつだって、こんな風に僕をどうしていいのか分からなくさせる。
こんな風に、僕の胸をいっぱいにさせる。
そのままバカみたいにぼうっと浸っていると、不満そうに抱き締める腕の力が強められたので、慌てて詫びるようにその背中に腕を回した。ムヒョだけにさせるばかりなんて、言語道断だ。
ふと頭をよぎった、床に落ちてページの折れたジャビンや、冷めてしまったお茶の存在なんてすぐに掻き消えてしまう。
それから僕が泣き止むまで、ムヒョはそのちいさな身体でずっと僕のことを抱き締めてくれていた。
ムヒョロジです。
今でも時折、どうしようもなく不安になる。自分の何が必要とされているのか、確かめたくなる。
醜い欲求が頭をもたげるのは自分でもどうしようもできなくて、何とかそれを隠そうと押しこめてしまうしかない。
それでも、君はそれを見ない振りなんてしてくれないから。隠し通せるわけがないなんて、分かりきったことだから。
「なんだそのツラは」
いつものようにソファで寛いでいたムヒョが、読み途中には珍しく手元のジャビンから顔を上げる。
なるべく目が合わないように前髪で隠したつもりだったのに、無駄な抵抗だったようだ。
ほかほかと湯気を立てるティーカップをテーブルに置いた途端、手首を掴まれた。
ばさ、と音がして、ジャビンが無造作に床に落とされたことに気が付く。
「泣きべそかきやがって」
ムヒョはそういうけれど、涙など一筋も流れていないし、目も赤くなってなどいないはずだ。なのに、彼は分かるのだ。
「……」
ムヒョには、僕の流していない涙までが見えるから。
何も答えない僕に、ムヒョが苛立った様子で眉を顰める。鋭いその視線を、僕は真っ向から受け止めることが出来ない。
「目に見える形で示してやんネェと不安か?」
俯いたままでいると、そのまま強く手を引かれた。不意打ちに、僕の身体はあっけなくバランスを崩してソファに倒れこむ。
混乱する頭で、背もたれに助けられながらなんとか上体を起こすと、いつの間にか立ち上がっていたムヒョが正面から僕を見下ろしていた。
どうしていいのかわからずにいると、ムヒョが無造作に床に膝をつく。
お互いの立ち位置のちぐはぐさに、余計混乱する。普段彼は僕とこんな位置関係に収まったりしない。ムヒョはいつでもソファに悠然と脚を組んでいて、床に膝をつくのは僕の役目だ。
そのまま、す、とムヒョが頭を垂れるのを呆然と見ているしか出来ない。そのまま寝癖つきの艶やかな黒い髪はどんどんと位置を下げていって、床すれすれになるまで止まらなかった。
足先から伝わった柔らかく暖かい感触に、びく、と身体が跳ねる。
彼、は。
「や、」
床に手をついて。
ムヒョが、僕のつま先にキスをした。
「だぁっ!」
反射的に身体が逃げて、無我夢中でソファの上を這った。ず、と腰が滑って、何も分からないまま無様に床の上に落ちる。
肩を打った。痛い。そんなことはどうでもいい。
「ごめ、なさ」
僕はなんてことをしてしまったんだ。なんてことをさせてしまったんだ。
彼に、ムヒョにあんなことをさせてしまうなんて。
「ごめんなさい…っ!」
がたがたと身体が震え出して、熱く湿り始めたまぶたを隠すように顔を覆った。
僕はバカだ。大バカ者だ。
「……め、さ……」
あまりのことに喉が勝手にしゃくり上げて、まともな声すら出せなくなる。ムヒョにあんなことをさせてしまうなんて。自分が執行人の権限を持っていたなら、今すぐ僕自身を地獄に送ってやりたい。
神聖なムヒョの領域を汚してしまった。木偶の坊だ。バカ犬だ。クズだ。カスだ。
「ふ……ぅ、く」
ぼろぼろと溢れる涙は、簡単にゆびの間を通り抜けてしまって隠すことすら出来やしない。
そのまま芋虫のように這って床にうずくまっていると、ぱた、とムヒョ特有の軽い足音がして身が縮まる。近づく気配に、ぎゅう、とまぶたを閉じた。
「ホントにオメェは」
こんなときでもムヒョの声は低く、滑らかで、ずしりと僕の頭に響く。隠した僕の表情を暴くように腕を掴まれても、抵抗一つ出来なかった。
強く引かれて、されるがままに身を起こす。座り込んだ状態でちょうど立ったムヒョと目が合う視線の高さに、思わず俯いた。それすら許さぬように、今度はムヒョの手のひらがまぶたを覆う形で僕の顔に押し付けられる。
何も見えない。僕の涙でムヒョの手が濡れる感触の畏れ多さに、びくりと肩が跳ねた。
「世話が焼けるな」
呆れ果てたように吐き出された、優しいため息交じりのその声は、僕が世界で一番大好きな声だった。
視界は塞がれたまま、それでもぎゅう、と背中に回された腕の感触に、抱き締められたのだとすぐに分かる。
視界を覆っていた手のひらも離れて同様に僕の後ろ頭を押さえつけたけれど、今度はムヒョの胸に抱かれているせいでワイシャツの白しか視界に入らない。ちら、と視界の端に映るサスペンダーの赤はいつものムヒョの色だ。
じわりと伝わるムヒョの高めの体温に、じくりと胸に痛みが走った。
ムヒョは、優しい。
「バカはバカなりに」
こんな僕にも、ムヒョはどうしようもないくらい優しい。
何でもない顔をしてさも簡単そうに、あんなことまでできるのだと当然のように示してくれた。ムヒョがそうまでしてくれる自分の存在を卑下していたことを、心の底から後悔する。
「余計なコト考えンな」
ムヒョはいつだって、こんな風に僕をどうしていいのか分からなくさせる。
こんな風に、僕の胸をいっぱいにさせる。
そのままバカみたいにぼうっと浸っていると、不満そうに抱き締める腕の力が強められたので、慌てて詫びるようにその背中に腕を回した。ムヒョだけにさせるばかりなんて、言語道断だ。
ふと頭をよぎった、床に落ちてページの折れたジャビンや、冷めてしまったお茶の存在なんてすぐに掻き消えてしまう。
それから僕が泣き止むまで、ムヒョはそのちいさな身体でずっと僕のことを抱き締めてくれていた。