log

2014.05.11 深い海の夢の終わりに

「海が近くなってきたな」

 潮の匂いが嫌いな隣の同行者の方へ振り向くと、相変わらずどこか白い顔色で、それでも珍しく、チズリートは窓の外の海を直視するように見つめていた。

「平気か?」
「ええ。この辺りまで潮の匂いが届くとは思っていませんでした」

 舗装された行路を進む馬車のリズムに揺られながら、チズが何度かがまばたきをする。

「こんな大量の塩水に囲まれて暮らしてるんだから、魚ってやつは随分とたいした生き物だよ」

 人間がこんな大量の塩水と一緒に暮らすには、帆船や航海といった知識の蓄積が必要不可欠だった。
 塩水の中で暮らすなんて、まず一番に舌がイカレそうだな、と頭の中で想像して思わずうんざりしてしまう。食道楽とは縁の遠い話だ。

「……ラジカさんはご存知かもしれませんが」

 ふっと、チズが口を開く。

「ここよりもっと東の方では、塩は死を清めるものとされているそうです」

 ああ、と簡単な相槌を打つ。
 ラジカの暮らしていた国でも、似たような価値観は存在した。塩は悪霊払いにも用いられるし、儀式の時にも聖別の際にも重宝される。

「海水が塩分を含んでいるのは、死を清めるためだとしたら」

 ラジカも、チズの視線を追うように窓の外の海へ目を向ける。

「海にはそれだけ、死が蔓延しているのでしょうか」

 チズにとって、海とは生命の住処ではなく、死の宿る異世界なのかもしれない。

「……おかしなことを言う奴だな」
「……すみません、この間までずっと本を読んでいたから、変なことを考えたんだと思います」

 ふっと、思いついたままの疑問をぶつけた。

「人間の涙が塩辛いのも、死を清めるためか?」
「……そこまでは思い至ってませんでした」

 だとしたら、チズの思考は死や清めというよりは、やはり海に向かって煮詰められたものだったのだろう。

「……………………ナーデルは、よく寝てるみたいだな」
「はい」

 何かあればすぐに騒ぎ出すナーデルとチズのやりとりは、最近、とみに静かだ。

「……最近」

 ぽつり、ぽつりと静かに、チズが言葉を探している。

「……ナーデルがよく寝ているんです」
「そうだな、長旅だから、疲れてないといいんだが」

 実際、ラジカの目的とする禁書を探す旅は、ここからまだ馬車を乗り継ぎ、船で海を渡った先にまで続く。
 物見遊山代わりに、チズに少しでも多くのものを見せてやろうと、彼の視野に少しでも何かを残せればと思って連れ出した旅は、まだ行程の半ばを過ぎたばかりだった。

「……最近、眠っていたり、ぼーっとしていたり、」

 チズの声はどこか消え入りそうなほど弱々しく、そしてたどたどしい。

「それに、段々、最近、彼の声が、」

 それはまるで、自分で自分の言葉の先を恐れているかのようだった。

「……遠くなったり……聞こえなくなったり……」

 自分で自分の言った言葉を、打ち消そうとするかのようにチズの言葉が早口になる。

「……僕の耳は、おかしくなってしまったんでしょうか? でも、耳だけはないんです。ときどき、彼の姿がひどくぼやっとしたものに見えたり、ひどいと、どこにるのか分からなくなってしまって、」

 不安を打ち消そうとすればするほど、新しい不安が生まれていく。
 チズはその不安の堂々巡りの、渦中で立ちすくんでいる。

「……振り向くと……覚えのないぬいぐるみがいて……僕は……」
「チズ」

 ラジカが撫でるようにチズの頭の上に手を乗せると、チズは突然、現実に引き戻されたかのようにはっとして、ラジカの顔を見上げた。
 そして、深いため息とともに目をつむる。

「海が近づくと、僕は、すごく嫌な気持ちになるんです」

 うっすらを瞼を持ち上げて、どこか夢をみるようにチズが、ラジカの頭を撫でる感触に身を任せる。

「……海に近づいていくほど……ナーデルが……どこかに行ってしまいそうな気がして……」
「……ナーデルは、お前が望む限りどこかに行ってしまったりはしないよ」
「……ラジカさん」

 目をはっきりと開き、顔を上げ、チズがラジカをじっと見つめる。
 水色の髪の合間から、嘘を吐くことを許さない澄んだアメジストの瞳が覗くのだ。

「俺も、ロゾバもそうさ。ナーデルだって、親友の元を勝手にいなくなったりはしないさ。でもな、チズ」

 二度、三度、頭を撫でる速度に合わせて少し、間を空ける。

「俺たちは生きてるんだ。だから、どこかで一度、別れの挨拶をすることもあれば、またどこかで顔を合わせることもある。永遠に会えないこともあるかもしれない。それでもやるべきことがあるから、俺はここに来た」

 居心地の良い家を出た。
 望めば、永遠に続きそうな時間だった。ずいぶんと色々なものを得て、久しく触れてなかったものに触れられる日々だった。

「……ラジカさんは、」

 考え込むように何度か、ゆっくりとまばたきをしてから、チズは自分が何をラジカに尋ねたいのかを見定めたらしい。

「ラジカさんは、このまま、ロゾバに会えなくなっても後悔しないんですか?」
「するさ」

 ラジカには呪いがある。
 海の神の呪いだ。長い時間をかけてゆっくり、ラジカは自分の神と同じ道へと近づいていく。意識も残らず、やがては人間のことなど忘れて魚を、人間を食い漁る。
 そして、もしその時に親しい人間の人生が犠牲になるようなことがあるのだとしたら、やはりラジカはそれを望まないし、そんな神としての生はどうにも癪だ、とも思う。

「するけれど、それであいつと過ごした日々が消えてなくなる訳じゃないからな。思い出すのはまあ、最初はしんどいだろうが」

 そういう経験は何度かしたが、同じことをもう何度か繰り返しても、慣れることはないだろうと思う。

「それでも、俺はあいつと過ごした日々は忘れられないよ」

 ロゾバ。褐色に淡いブロンドの、どこか無気力さすら感じさせるような穏やかで、無抵抗の男だった。困ったように微笑む姿を見るのが好きだった。

「もし、このままもう会うことがなくなったとしても、あのとき俺が出来うる限りのことをあいつにしてやったって思えるように毎日、あの家で過ごしてきたんだ」
「……僕は」

 考え込むように再び、チズが瞼を伏せる。

「……僕は毎日、ナーデルと、ラジカさんと、ロゾバさんと暮らして、大変だったけど毎日、それなりに幸せで、」

 少し不安定に揺れた声で、思い出すようにチズがゆっくりと語る。

「……僕は、分からないけれど、多分、とても後悔していて」

 ラジカはそれを、わずかに相槌だけ打ちながら続きを待つ。

「……取り戻したくて……楽しい時間がたくさん欲しくて……」

 目を瞑ったチズは、まるで半ば、夢を見ているかのようだ。

「……ずっとずっと……楽しければいいのにって思ってて……でも、ずっと楽しくいたいから、ずっとナーデルを付きあわせてしまって」

 隣に座らせた熊のぬいぐるみの腕を、本当は握りたかったのだろう。けれども、寝ているところを起こしたくないかったのかもしれない。
 代わりに、チズがラジカの服の端を掴んで、ひどく痛そうなくらいに握りしめる。

「……ナーデルは、疲れてしまったのかもしれません」
「……休ませてやればいいさ。誰にだって、休暇は必要さ」

 チズの後頭部を、包み込むようにしてそっと肩の方へ抱き寄せた。

「次の街に行ったら、少し長めに滞在を取ろう。帰りはちと遅れちまうがまあ、手紙でも出すとして」

 ロゾバのことだ、また鞄に下着を詰めるようなずぼらをしていなければいいのだが。

「……休みながら、まあ、少しずつでも進めばいいのさ」
「……」

 一度に全てを終わらせようとしたら、それはチズでなくても、誰でなくても疲れてしまうに決まっている。
 チズは無理を無理と思わないところがあって、それは多分、ひどく生真面目な彼が常になにか、追い立てられるように思い詰めているところに起因しているのだ。

「……すこし、僕も、眠っても大丈夫ですか?」
「馬車疲れだな。寝とけよ、成長期」
「……だから、僕は成長期はとっくに終わって」
「ああ、いや、そうなんだが。まあでも、体力が見た目相応なのはしょうがないしな」

 つい見た目のせいで子供扱いしてしまうが、実際のチズは17才の、もう青年なのだという。見た目にはどう見ても精々、13より上ということはなさそうなのだが。

「お前さんのその症状も、いったい、いつになったら治るのやら」
「……今は休むから、そういう疑問は後回しにすることにしました」
「そりゃあいい。ゆっくり休んで、備えてくれ」

 ラジカの肩によりかかったまま、一度だけ軽く目礼したチズが瞼を下す。
 馬車の揺れに身を任せ、ラジカに体重を預けたまま、チズは静かに微睡みはじめたようだった。

「おやすみチズ、良い夢を。起きたらまた、沢山の話をしておくれ」

 チズの遥かな夢の終わりは、長い長い冬眠の終わりの春は、どこからやってくるのだろう。


--------------------------------------------


チズが自分の妄想と決別する日が来るとしたら、それはある日突然になのか、それともゆっくりとやってくるのか、みたいなことを考えながらぼーっとしていました。
もし元の年齢(見た目)に戻る日が来るとしたら、それは彼が子供=ナーデルとの一人遊びの世界からの卒業の時なのかなーとか。

そしてもしそういう日が来るのだとしたら、ラジカはきっと出来うる限りの手段でチズを支えるんだろうなぁと思います。

00:50 | 他キャラレンタル

2014.02.14 塩と砂糖

 ああ、と最初に匂いを嗅ぎつけたのはロゾバだった。
 褐色の肌に淡い金色の髪の毛を揺らして、はて、というようにおっとりと首をかしげる。穏やかだとも、覇気が薄いともとれる視線だ。

「潮の匂いがする……」
「海水? 生け簀かね、この辺りだと珍しいな」

 目ざといラジカが、一度気になると止まらないとばかりにキョロキョロ、近くの店を観察し始める。
 案の定、海産物を扱っているらしいレストランの横の通路では、人が一人入りそうな大きさの水槽を、何人がかりという大作業で運び込んでいた。食べる前の魚をあの中に入れて観賞できるようにする趣向らしい。

「……あの……」

 珍しい趣向だな、悪趣味な気もするけど、なんて散漫に話題を交わす大人二人の間に、少し神経質そうなチズの少年らしい声が入り込む。
 憂鬱げな視線はふらふらと定まりが悪く、あまり店の中を見ないようにしているようだった。

「……家に戻りませんか? 申し訳ないんですが、食欲が……その……なくなってしまって……」

 こうなると、大人二人の態度は一気に大人げなくなる。
 二人が二人とも、心配でたまらないと言いたげに落ち着きがなくなって、ラジカもロゾバもあれやこれやととにかく、チズを口うるさく心配するのだ。

「あれま。なんだ、どうした。熱か? 吐き気? 貧血か? おぶってやろうか?」
「大丈夫か? その辺りの店で、休めそうな程度なら場所を探すが」

 実年齢は違うとは言え、見た目にはこの中で一番、幼く見えるはずのチズの方が冷静に振る舞っているように見える図というのはいかがなものなのだろう。

「いえ……家に、戻って少し休めば平気だと思うので……」

◇ ◆ ◇

 ベッドに戻るほどではないからと、ソファーの上で寝転がっているチズがふっと、ラジカの手の中へ目を向ける。
 ここしばらくルームシェアで暮らして長いが、ラジカがこういったものを出しているところを初めて見たのだろう。

「……アロマか何かですか?」

 立ち上がったラジカがぽんぽん、手癖か何かのようにチズの頭をなでる。チズはすこし座りが悪そうな顔をするが、逃げるほどでもないような、というような微妙な迷いを見せている。
 猫を飼っていたら、こんな気分になるのかねと内心でだけ一人ごちて、ラジカはチズに見えるようにいくつか、小さくてアクセサリーのような色とりどりのアロマキャンドルを順番に見せた。

「そう、植物系のな。ハーブとか、食べ物とか、けっこう色々あるぞ。どれか、好きなのがあれば焚いてやるんだが」
「……僕は、そういったものはあまり……ラジカさんがお好きなものが一番だと思います。え、なに? ナーデル、甘い匂いが?」
「はは、ナーデルはお菓子の匂い希望か。でも、もうちょっとでオヤツだからな、我慢してくれ。チズ、この本を片してくるから、それまで大人しく寝てろよ。ナーデル、チズが勝手に置きださないよう、よく見ておいてくれ」

 実際、ラジカにはチズが言うような、ナーデルの行動は見えない。ただ、クマのぬいぐるみを使って、チズが一人芝居をしているだけだ。
 ただ、会って最初に少し話しただけでピンときたが、チズは確実に「そこ」に「ナーデル」と言う青年がいる、と思っている。チズの語るナーデルは、言葉を持たない。黒のくせ毛に褐色の肌、紫の瞳を持っていて、常に身振り手振りでチズと意志の疎通を図っている。
 あのクマに何かいるのは本当だろう、とラジカには分かる。
 ただ、それはチズの語る、天真爛漫で無邪気なナーデルからはかけ離れた、複雑な憐憫に支配された視線をわずかに感じる程度のものだ。

「……うーん、特定の匂いに嗜好がある訳じゃない、か。そうすると、単純に潮が……海が嫌いなんかね」
「……探偵ごっことは、趣味がいいな」

 二階の書庫へ上がったラジカの言葉に、反対側の本棚から顔を出したロゾバがため息交じりの釘を刺す。
 ラジカの方はと言えば特に驚いた様子もなく、まるで最初からそこにロゾバがいるから喋っているのだと言いたげだ。

「なんだい、ロゾバは自分の好きな相手のことを知りたいって思わないのかい?」

 俺たちは、共同生活者なんだ。好きでもない相手とは、一緒に生活するなんて無理だろう?
 と、もっともぶった態度でラジカが首をかしげる。

「……逆だよ。私はお前と違って、自制が利かないからやりたくないんだ」

 そういうのは、際限がなくなる。
 短く言い置いて、ロゾバがそっぽを向く。

「そうかい? 俺が知っていなかったせいで、アイツに何かあった時に何も出来なかったらどうしよう、って思う方が俺は嫌だなぁ」

 わざとらしいため息や、どこか大げさなジェスチャーで軽薄さを強調しながら、ラジカが手に持った本を書庫の決まった位置へ戻す。目に見えない場所にいくつも魔法陣の刻まれた、見る人間が見たら顔をしかめるかもしれないような棚だ。

「知っていれば、俺がどうとでもしてやれたのに」

 だって、そうだろ、と同意を求めるように首をかしげて笑う姿は、ふっと年齢を忘れそうになるような、子供じみたものだった。
 自分の言葉が、過去形になっていることにすら気が付いていないのかもしれない。

「……傲慢だな」
「俺もそう思うよ」

 嫌悪するような、怖れるようなロゾバの反応はどこか神経質で慎重だ。
 ラジカはその、ロゾバやチズの持つ、怖れることを知っている人間のあの独特の慎重さが好きだった。何かを恐れている人間の臆病さだ。失うこと、傷つくこと、二度とは戻れないこと。

「お前は絶対に恋人を持たない方がいい」
「マジでー。なんでみんな、同じこと口を酸っぱくして言うかなぁ……」
「全員が同じ見解を抱く程度にはよろしくないということだ」
「ええー……」

 軽口を交わし合いながら、書庫を後にする。
 ロゾバは食べることに関しては目がないから、このまま、昼のおやつ目当てに下まで降りてくる算段だろう。

「まあ、いいよ別に。今はロゾバとチズとナーデルと、手のかかる奴らが多いからな」

 家で腹を空かせた人間が二人も待っていて、そいつらを食わすのに忙しいんだなんて言って誘いを断っていては、きっとそのうち声もかかわらないようになってしまうだろう。

「遊んでる暇なんてないさ」
「お前を見ていると、物好きというのはいるものなんだな、と納得するよ」

 何が一体そこまで駆り立てるのか、分からないそれが怖いのだ、と言いたげにロゾバが視線をそらす。
 階段を下りると、ナーデルと一緒に何やら起きる、起きないと問答をしているような人形芝居をしながら、チズが二人を待っていた。

「チズー、ナーデルー、おやつ作るぞー。今日はドーナツ揚げるからな。ココアとナチュラル、どっちが良い?」
「ドーナツなのか」
「トッピングは自分で選べよ」
「ふふ……そうか、うんうん、選べる幅があるのは、いいことだ」

 甘いものに相好を崩すロゾバとは対照的に、チズは少しだけ、こういう時どうしたらいいのか分からないという顔をして見せた後、困ったようにラジカに粉糖を控えめにしてください、とだけリクエストした。

--------------------------------------------

タワムレガキより、PTMだったチズとナーデル、ロゾバをお借りしています。
毎日、男三人でオシャンティな生活してるとよいなと思います。

00:32 | 他キャラレンタル

  • newer
  • older