■ 六日目


 変な箱を押し付けられて、男爵領の外に逃げ出した。
 箱は曰く憑き、男爵は反逆罪、僕には追っ手。
 逃げてる途中でトムと出会った。一緒に殺されそうになって、そのまま僕はトムを巻き込んで全力疾走。
 逃げた先で崖に落ちて、ネザーシャドーの口の中を通って、気が付いたら男爵領からも遠く離れた王城近く。
 トムに王城前まで連れて行ってもらって、初めて食べた炊き出しはとっても塩味が利いてて美味しくて、でも、贅沢すぎてちょっと食欲が出ない味がした。
 そのままトムとはバラバラになって、ラルフって言う人と腕試し。
 ルリアンナという人は、ネザーシャドーがノームというエンブリオなのだと教えてくれた。
 ネクターをもらって一揆の人混みに紛れて、後のことなんて何も考えてなんていなかったのに、

 結局、僕は今もトムと一緒にいる。

◇ ◆ ◇

 率直に言ってしまえばつまり、『お互いに他に知り合いがいなかった』のかなって思う。
 あのルリアンナという女性には複数人での行動を勧められたけど、見知らぬ人と一緒に徒党を組むのは少し怖い。誰かが紛れ込んだ追っ手だったとしても、僕にはそれを見抜く手段がないからだ。
 バラバラに腕試しを受けた後、結局、僕は知らない人たちの中で見つけたトムの姿に、そのまま声を掛けてしまった。

 だから僕は結局、今もトムと一緒にいるのだろう。

 野生動物除けの焚き火を確保するために、枯れ枝を探して歩き回る。
 トムはよく「サラマンダーと契約とかいいよね、炎とか使えたら格好いいのに」って言うけど、トムの周りに集まってくるのはエンジェルやフェアリーと言ったエンブリオばかりで、あんまり格好よさとは縁がないらしい。この間、ようやくデビルと契約できたときも「悪魔じゃあなぁ……」とちょっとガッカリしていた。
 逆に、僕の方はと言えば『これ』だ。

ノエル >>
……ちゃんとついてきてる……。

 ちら、っとだけ後ろを見る。地面から生えた大きな異形の腕が、僕が抱えている量の倍の枯れ枝を手に後ろをついてくる。
 ネザーシャドー。
 いや、正確にはネザーシャドーじゃなくて、ノームのエンブリオらしいのだけれど、何となくそのまま定着してしまったので今もネザーと呼んでいる。
 ネザーの姿は一応、いくつか姿があって、大体は大きな虫のような羽根と、獣の鋭爪に似た大きな腕を持ったゴーストみたいな姿をしている。
 でも、グネグネしていて不定形で、いつも形はあんまり安定してない。
 ときどき、影の中から同じような影の魚や、ゴーレムの腕らしきものが生えたりもする。まるで、箱の中にいろいろなエンブリオが入っているようでちょっと不思議だ。
 そんな感じで、僕の周りにはちょっとよく分からないエンブリオばっかり集まっている。

ノエル >>
あ、あのキノコ……。

 一揆の環境は、そんなに参戦者に甘くない。。
 食べ物もロクに手に入らないし、何をするにもお金は先立つ。
 僕たちは自分たちの身を守ることを優先して、なかなかちゃんとしたご飯を買う余裕もないし、毎日、身の回りのどうにか食べられるようなもので食いつなぐしかない。
 メルンテーゼでは良い食べ物には魔力が宿ったりするのだけれど、僕たちが食べられるのはそういう効力もない普通の食べ物ばっかりだ。
 草原では野草や倒したマッスルポテトを調理して、川辺では魚を釣って、毎日、食べることにも忙しい。
 でも、ずっと男爵領で小作農として育った僕にとって、一揆の旅路は初めての事ばかりでとても新鮮だった。

ノエル >>
うん、食べられるやつだ。似たような毒キノコもないはずだし……持って帰ろうか。

 持っていた枝を置いて、木の根の辺りに見えるキノコに走り出そうとするよりも早く、ヒュンと視界の隅を影が一色、走った。
 ビックリするけど、これにもそろそろ慣れてきた。ネザーのしっぽだ。
 細長くのびるしっぽ(みたいな部分)が目的地に辿り着くと、器用にキノコを一つ一つ摘んでいく。
 振り返ったら、いつの間にか地面から半分顔を出していたネザーの身体は伸ばした分だけ縮んで小さくなっていた。
 そのまま、しっぽがしゅるしゅると帰ってくると、ぐるぐる巻きつけるように摘んできたキノコを僕の方へ差し出してくる。

ノエル >>
あ、ありがと、ネザー……。

 そのまま、しゅるしゅる巻き戻るように荷物を運ぼうとするネザーを慌てて呼び止めた。

ノエル >>
いいよ、お前の方が荷物が多いんだし。これは僕が持ってくよ。

 我ながらしょうもない性分だと思うのだけれど、自分だけ仕事がない状態というのは落ち着かないのだ。後から叱られそうで。
 僕の持っている枝は少しだけで、後はほとんど、ネザーが運んでいる分で足りるだろうから、キノコは僕が受け取って運ぶことにした。

ノエル >>
枝、集めて来たよ。
トム >>
……ああ、うん、おつかれさま。
ノエル >>
キノコがあったから、とってきた。スープの中いれちゃおっか。
トム >>
キノコあるの? それだったら、焼いて塩かけてもいいと思うよ。

 野草をはさんで串に刺すと、香辛料代わりになって美味しいらしい。

トム >>
母さんがこのキノコの煮物が好きだったんだけど、いっつも同じ味だから飽きるんだよね……。
ノエル >>
キノコの煮物? 同じ味だと飽きるのか?
トム >>
飽きるよ。毎日とは言わないけど、良く出てくるんだ。……君があの時、踏んだ弁当の中にも入ってたから、踏まれてなければ食べさせてあげられたんだけどなぁ。
ノエル >>
……その件は悪かったと思ってるよ、本当に……。

 王に味方する兵士やエンブリオたちに襲われるのは怖かったし、ときどき、追っ手に追いつかれるんじゃないかと悪いことばかり考えてしまうこともあったけれど、それでも僕の毎日は何とか、上手くいっている。
 ネザーは僕の後ろを離れることなくついて回って、トムとも、盛り上がったりするわけじゃないけど毎日、平和に話しができて、毎日の生活は目まぐるしいけどきちんと、得るものがある。
 王に味方する兵士やエンブリオと戦ったりもするけど、戦ったやつらの中にはパワーストーンや魔力のこもったアイテムを落とすやつらもいて、僕はトムと毎日、あれこれ話し合ってやりくりを決める。少しずつ身の回りの守りを固めていけば、追っ手だってきっと、そのうち怖くなくなるかもしれない。
 くたくたになって夜が来ると、火の番をしてくれるエンブリオたちをぼんやりした視界で眺めながら、眠る前にうつらうつら、トムと何でもないような会話を交わして眠る。
 男爵領にいたころの僕の生活は、ただ毎日、自分の身体と体力だけがどんどん擦り減っていく感覚があるだけで、日々の手ごたえや、何かが手に入るような実感なんて一つもなかった。

 つまるところ、結局。
 僕は今の生活を、なんだかんだ、文句を言いながら楽しんでいるのだと思う。

◇ ◆ ◇

 父さんと母さんの帰りが遅かった。
 暖炉の薪がぱちぱちと音を立てるのを聞きながら、叔母さんが僕の肩を掴んで、じっと僕の目を覗き込んでくる。

いい、ノエル、落ち着いて聞いて頂戴。

 何を言ってるの、叔母さん。僕はちゃんと落ち着いてるし、そんなこと、どうしていちいち聞いてくるの?

お前の父さんと母さんが……タールピットに落ちたの。

 何を言ってるの、叔母さん。
 ねえ、叔母さん、何を言ってるのか、ぜんぜん、ぼく、わからないよ。

■ 七日目


oh,I'm sorry
did I break your concentration?

 ――おっと失礼、気を散らしてしまいましたかな?
 フェアリーたちのかすかな、それでいてどこか人を小馬鹿にするような惑わしの囁きが聞こえる。

up and down,
over and through,
back around-
the joke's on you.

 ――上がって下がって、行って戻って、一回り。おめでとうございます、無駄足でございましたな。
 契約してしばらく経ってからようやく分かったけど、トムのエンブリオたちはおしゃべりだ、と僕は思う。
 もっとも、それはネザーシャドーが喋らないエンブリオだからそういう印象を受けるだけで、賑やかなエンブリオはもっと人間のように当たり前に喋ったりするのかもしれない(でも、ティルムのところのノーフもぜんぜん喋らないのだ)
 だから、僕にとってはトムのエンブリオたちの、なんでもないような一声がとても新鮮に感じられる。
 囁くようなフェアリーの謎かけ、不幸を願うデビルの呪文。

 でも、エンジェルだけは何故か、トムとまったく口を利かない。

◇ ◆ ◇

おねえちゃん >>
あっぱれボーイ! ふぁいと、ですぞぉ!

 持ち上げようとした戦槌の、重さと大きさに思わず足元がふらついた。
 なんとか体勢を持ち直して、ハンマーの頭を地面から浮かせようとするけれど、鋤や鍬の扱いに慣れた僕でもかなり、その……重い。

あっぷら >>
ちょ、だ、大丈夫!?
アルくん >>
わ、わ、気を付けてー!

 心配そうなあっぷらやアルの声にも、返事を返す余裕なんてない。
 このくらいのウォーハンマー、たぶん、あのあっぷらって子なら余裕で持ち上げられるんだろう。……悔しいことに、本当に見事な力こぶの持ち主なのだ。
 農耕具で多少の重いものには慣れてるから、大きくて破壊力のあるやつにしてくれ、なんて言ったのがそもそもの間違いだったのかもしれない。

トム >>
うっわ……こうやって見ると、思ったよりずっと大きいね……。

 落ち着かなげに辺りをそわそわ、歩き回っているトムに当たらないように何とか構えを取る。
 全体の長さは、僕かトムの身長と同じくらい。ほとんど遠心力を利用して殴るようなものだから、重さもハンマー部に集中していて、均等に重みがかかってる訳じゃない。
 無茶苦茶な鈍器だったけど、でも、柄の部分に施してもらったロードナイトの細工だけは場違いなくらい綺麗だった。
 ……おねえちゃんって、あの犬の手でどうやってこれを作ってるんだ……?

あっぷら >>
こっちよ、こっち!

 指示される方向に向かって、足を踏み出して戦槌を低く構える。
 あれだよ、とトムが指差す先にあるのは、試し打ちに丁度良さそうな枯れかけの細木だ。
 実際、あれだよ、と言われても、本当にちゃんとこの槌を振れる自信がなかった。
 それでも、単純に素人が扱っても破壊力があって、振り回すだけで武器になるというのはやっぱり、非戦闘員にとっては魅力的だ。

アルくん >>
いっけぇー!
あっぷら >>
が、がんばって!
おねえちゃん >>
そこですぞぉー!
トム >>
破片が飛ぶから、気を付けて!

 重い戦槌の頭を、振りかぶるように少し、後ろに下げて勢いをつけようとすると、急に手に握っている重さが半分になったような気がして、ギョッとして自分の手に目を向ける。
 大きな、黒い影の腕。
 指先は獣の爪のようにするどく尖っているくせに、器用に戦槌を握って、僕と一緒に柄の重みを支えてくれる。
 ――今の今まで、僕にとって戦闘のほとんどは『ネザーシャドーがやってくれる』ものだった。

 ハンマーの風切音、飛び散る木の破片、重い破砕音。
 それから、ネザーシャドーの冷たくひんやりした腕の感触。

 ネザーシャドーは喋らないエンブリオだ。
 喋らないし、何を考えてるのかも分からないし、いつの間に契約したのかも分からない。
 分からないことだらけで、不気味な笑顔で、呪われた箱の中から現れるけれど、

 でも多分、僕はけっこう、こいつのことが好きになってきているのだと思う。

◇ ◆ ◇

 トムのエンジェルは喋らないエンブリオなのかと言うと、実はそうじゃないことを僕は知っている。
 一度だけ、トムのいない場所であのエンジェルが、フェアリーたちに何か喋りかけているのを僕は見たことがある。

ノエル >>
……仲、悪いのかなぁ……。

 別に独り言を言ってる訳じゃなくて、声をかけると、地面からうにょん、とネザーシャドーが顔を半分だけ出す。……でも、喋らない相手に一方的に語りかけてるって、傍から見てるとやっぱり、独り言なのかな……?

ノエル >>
なんか、エンジェルだけ妙にトムになついてない感じ、あるもんなぁ……。

 人間関係、いや、エンブリオと人間の悩みだからエンブリオ関係?
 ネザーシャドーの、左右非対称の耳のように別れたパーツをつんつん、つついて揺らしてみる。
 喋らないからと言って、仲が悪いとは限らないのかもしれない。僕とネザーシャドーだって、会話はしたことがない。でも、エンジェルのエンブリオは意図的に、トムの前でだけ喋っていない。

ノエル >>
うーん……本当は間に誰か、入ってくれる人とかいればいいんだろうけど……。

 お屋敷でも、こういう人間関係ってなかった訳じゃない。
 特に、貴族の侍従って部署ごとに折り合いが悪かったり、あとはメイド同士で犬猿の仲の間柄がいたりと、色々と多かったのだ。
 そういう時は大抵、間に一人、誰かを挟むのだけれど、残念なことにフェアリーもデビルもそういうつもりはまったく、なさそうに見える。

ノエル >>
……やっぱり、ユニコーン? 新規契約?

 新しい風が吹き込むのはいいことなんじゃないかな、という気はする。
 特にトムは、ここでは運が良ければ幻獣のユニコーンと契約ができると聞いて、けっこう乗り気だったみたいだし(ユニコーンは格好いいし、英雄オリフェンドールが従える聖獣としても有名なんだってトムが言ってた)(トムはオリフェンドールの加護の日に生まれたらしい)(ちなみに、僕は魔王エリエスヴィエラ)(……勇者の子孫の癖に、なんでエリエスヴィエラの日に生まれたんだろうな……)

ノエル >>
ユニコーンって、でも、あれなんだろう? 結婚してない女の子が好きなんだろ?

 ただ女の子ってだけじゃダメなんだから、贅沢な奴だよなぁ、ユニコーンって。
 あのあっぷらって子ならオーケーなのかな?
 でも、いくら僕よりムキムキとはいえ、女の子をユニコーン探しのための囮にするなんてとてもじゃないけど危なくてダメだ。
 この森はけっこう、狂暴なモンスターが多いことで有名なのだ。

ノエル >>
うーん……女の子には危なくて、ユニコーン探すの手伝ってくれなんて頼めないしなぁ……。

 なあ、ネザーシャドーはどう思う、と言おうとした瞬間だった。
 僕の目の前には、大きなネザーシャドーの顔と、いつもの何十倍も大きく開いた真っ赤な……口?

ノエル >>
……ね、ネザー……さん……???

 あ、このパターン、一回やったことある。
 そう思う暇もなく、僕の身体はネザーシャドーの大きな口(?)の中に飲み込まれていた。
 ただ、次に目を開けたとき、僕は別にどこかにテレポートしていた訳でもなく、先ほどと同じ場所に立ってはいたのだけれど。

 三秒後、ようやく僕は自分の身に起こった異常に気が付いて、おねえちゃんやアルが走って飛んでくるような悲鳴を上げることになる。

■ 八日目


 城門から城へと続く道は、ハッキリ言うけどすっごく変だ。

 長い道が続く周りは広庭になっていて、城の方からは小川が流れてくる。
 城壁の周りは険しい森に囲まれていて、城の裏手には星が降り注ぐ巨大な山。
 そのくせ、城壁内の片側はそこだけ変な風に枯れた土地が広がっていて、一揆参戦者たちには通称、『砂地』と呼ばれているらしい。
 これが本当に、王さまにとっての『パラダイス』なんだろうか?

 砂地の空気は乾いていているからか、焚き火もパチパチ、と音を立ててよく燃える。
 すこし上を見上げれば、メルンテーゼ伝承に伝わる種々さまざまな星座が僕たちのことを見下ろしていて、いろいろな情報を僕たちに教えてくれる。

トム >>
ケット・シー座、キラーウルフ座、パロロコン座、アルミ・カーン座……。

 農民にとって、天文学はものすごく大事な知識だ。
 月の満ち欠け、星の移動、天体の運行。夜空を見上げれば季節の動きや方角、暦を知ることができる。
 今は、ガリバーヴォルク座が特に明るい季節だ。

ノエル >>
あれは、えーっと……うさぎ座かな。
トム >>
違うよ、うさぎ座は冬の星座だろ。あれはほら、首から下の部分が繋がらないからプリティデュラハン座だよ。

 あっちが北で、こっちが西、と、トムがだいたいの方向を指し示す。

アルくん >>
じゃあ、僕の故郷はあっちの方になるのかな。
トム >>
うん。僕とノエルはあっちからで。

あっぷら >>
……セルフォリーフは、どっちの方角にあるのかなぁ……。

 あっぷらがため息を吐くと、おねえちゃんが元気をだせ、と言うようにあっぷらの手の平に自分の頭をくしゅくしゅこすりつける。
 湿気のない乾いた空に、星がきらきらと降り注いできそうな夜だった。

◇ ◆ ◇

 トムと二人、寝っころがって星空を仰ぐ。
 目印は、ガリバーヴォルク座の瞳。ユニコーン座の角とつないで、あれが西の方角。

ノエル >>
トムは、公爵領から来たんだよな。
トム >>
そうだよ。って言っても、公領と王領の境目のあたりだから、まあ、田舎もいいところだけど……。

 王城から遠く、西の一帯を整備して栄えたのが公爵領で、そこから更に西が魔王の眠る死んだ土地を抱える男爵領。

ノエル >>
……じゃあ、男爵領で、反逆罪で男爵が捕まったって話は……。
トム >>
この間、初めて聞いたよ。。
ノエル >>
……だよなぁ……。

 ふと気になって聞いてみたのだけれど、当たり前のように収穫はない。
 こうやって落ち着いてみると、どうしてこんなことになったんだろう、と、ふと気になることはあるのだ。
 任された箱、箱を探す追っ手、反逆罪で捕まった男爵。
 今まで、一揆に巻き込まれて流されるがままだったけど、ようやく一息つく余裕が生まれたせいか、色々なことを考える時がある。

ノエル >>
……なんで、男爵は捕まったんだろうな。
トム >>
さあ……反逆罪だっていうくらいだから、相当なことをやったんだろうけど……。
ノエル >>
……ぼくが働いてた時は、本当に普通のお屋敷だったよ。別に、反乱みたいなキナ臭い話もなかったし、武器や火薬を貯めこんでたなんてこともなかった。

 同じ屋敷の中で働いていたのだから、そういう気配があったらまったく分からないって言うことはないんじゃないかと思う。
 ある日、本当に突然に、としか言いようがないタイミングだったのだ。

トム >>
謀反、だから、教会から反逆罪認定が下りたんじゃないかなぁ……。

 そうなのかな、と思う。
 公爵領の教会は、公爵の管轄だ。だから教会に認定されたっていうことは実質、公爵に対する反逆罪に近い。
 教会は、公爵領中の村や町に派遣される。中央の情勢から取り残されがちな地方や寒村にとっては貴重な情報の伝達元であり、絶大な影響力を持つから、教会の認定は公爵領にとって大きな意味を持つ。
 疫病、反乱、有毒なガスの発生、危険生物などの発生認定からの警報に、……それから、『魔王』認定。

ノエル >>
……教会から認定が下りたら逃げられない、か。

 かつての魔王と、勇者って呼ばれた獣人の勇士だってそうだ。
 あいつらは、教会が名づけるのだ。
 王さまが、自分の城を『パラダイス』って呼ぶみたいに。ルリアンナが、王さまのことを『魔王』って呼ぶみたいに。

トム >>
……もうすぐ、収穫の季節が来るんだよね。
ノエル >>
……そういえば、もうすぐそんな時期だっけ。
トム >>
今年の収穫祭は、どうなってるのかなぁ……。

 トムがふっと遠い目をして、西の空を見る。
 やっぱり、ホームシック、とかあるんだろうか。

ノエル >>
トムのところは、収穫祭やるんだ。
トム >>
ノエルのところはやらなかった?
ノエル >>
……近くのご神木にお供えだけして、あとはいつもより少し、贅沢なもの食べたくらいかな。
トム >>
へえ。うちの収穫祭は、けっこう、大きなお祭りだったんだけど。
ノエル >>
すごいな。おもしろそう。
トム >>
お祭り自体は楽しいんだけどね……でも、ボクの村のお祭りってさ、その……。

 ちょっと気まずそうに視線を横に向けたトムが、数秒、言いよどんでから口を開く。

トム >>
……女の子を誘っていいお祭りでさ。

 思わず、僕はゴクリと唾を飲んでしまった。

ノエル >>
……だ、誰か誘ったのか?
トム >>
……誘えてたらこんな場所で一揆やってないよ……。

 ……現実って、厳しいなって思う。
 でもまあ、可愛い女の子を村に待たせて一揆に、なんて物語みたいなお話、早々あるわけじゃないのかな。

トム >>
だから、そんな場所にボクみたいのが出ていくと、『コイツ何しに来たんだ?』って感じになるんだよ。場の空気が。
ノエル >>
……つ、つらい……。
トム >>
もう、この次期になると周りのやつらはみんな、早めに可愛い子に声かけたりしはじめてさ……。

 うんざりする、と言わんばかりのトムのため息が重い。

トム >>
母さんとか父さんも、この時期になるとさりげなくさ、聞いてくるんだぜ? 今年は、誰か誘うアテはあるのかって。もう、嫌になっちゃうよ……。
ノエル >>
きょ、兄弟とかと一緒に行っちゃダメなのか? たくさんいるだろう、お兄さんとか、お姉さんとか、チビっこどもとか。
トム >>
……ボクの兄さんたちは、村でも力自慢のノームやゴレムの使い手だったんだぜ。働ける男は人気があるんだよ、嫁ぎ先にぜひって。

 トムの家族の話はいつも、ものすごく面白い。
 煮物が得意でおしゃべりなお母さん、無口で力自慢の父さん、トムを含めて七人の兄弟たちは誰も彼も個性的だ。一番上の兄さんは力自慢でちょっと乱暴、二番目の兄さんは知恵者で要領がよくて??。

 トムのそういう話が、僕は少し、本当は羨ましいんだと思う。

◇ ◆ ◇

 母さんも父さんも帰って来ない家の中に、知らない男の人が兵士を連れてやってきた。
 持っている紙の名前は「証文」って言うんだって。
 でも、僕は字が読めないから、詳しいことなんて分からない。
 でも、字が読めない僕にも分かるくらい、その男の人がいう事は簡単だった。

 僕の父さんと母さんは、タールピットに落ちる前に僕をその男の人に売っていたらしい。
 だから、僕はもう、僕たちの一族の村から出て行かなくてはいけないのだ。

■ 九日目


 地下牢の冷たそうな床の上を、周囲の気配に気を配りながら歩く。
 空腹をくすぐるような良い匂いだった牛乳粥を食べた後だと、奥の方からかすかに漂う、ひどく嫌な匂いがことさら鼻を突く。奥の方に近づくにつれどんどん、強くなっていくから、匂いだけに頼って歩くのが難しかった。

「……いやなにおいがする」
「向こうの角の先に二匹、いるな」

 確認するようにつぶやくファルクレイの声に、思わず抱えていた戦槌を握り込む。
 でも、それを見たファルクレイは軽く首をすくめて、小さな声で補足を加えた。

「放っておけば、近づいては来ない」

 動物としては尋常じゃない大きさに、白銀の毛並、地下牢の中には不釣り合いな空色の目。犬じゃなくて狼で、狼じゃなくて悪魔。

「こっちの道にするぞ」

 くいっ、と首の動きだけで器用に方角を示唆して、ファルクレイが曲り道の方角を教えてくれる。背中に乗っているクローシェは大丈夫かと見上げたら、ファルクレイの大きな背中から、まだぜんぜん眠くないと言いたげに元気に辺りを見回していた。見るものがない無人の地下牢は、子供にはちょっと退屈なのかもしれない。

(……本当に、なんでこんな事になったんだろう……)

◇ ◆ ◇

 そもそもの発端は、一人で偵察に来たこと、だったんだと思う。
 アルやあっぷら、おねえちゃんやトムを置いて、地下牢に偵察に出た。
 地下牢には誰もいないとか、幽霊がいるとか、色々な噂が飛び交っていて、話を聞いただけだとよく分からなかったから、っていうのがその理由。自分の目で見れば一番、早いし間違いないのだ。
 トキサメっていう、あの目立つ変な女忍者の目を盗んで、さっさと地下牢に忍び込んで、……それで、結局見つかった。
 それも、城の兵士やエンブリオにじゃなくて、同じ一揆に参加しているパーティに、だ。おまけに、近づいてきた化け物サイズの狼を思いっきり戦槌で叩いてしまった。
 叩かれた狼の名前がファルクレイ。自称・悪魔。営業中。偶然なのか何というか、僕もこいつに『営業』をかけられた一人だ。

「ノエルは、クーちゃんに乗らないの?」

 ひんやりしてて気持ちいいんだよ、と、いよいよ見るものがなくなって暇になったらしいクローシェが、ファルクレイの背中の上から不思議そうに声をかけてくる。
 子供が一緒にこんな所にいていいのかと最初は心配したのだけれど、ファルクレイいわく、『自分の傍にいる方が安全』なのだということだった。

「……落ちそうで怖いから遠慮しておく」
「クーちゃんは、乗ってる人を落としたりしないよ」

 残念だけど、僕は自分の尻尾を思いっきりむしった子供相手に背中を向けるほど馬鹿じゃない。
 僕の意図が分かっているのだろう、ファルクレイだけがくつくつ、一人だけ分かった顔で笑っていた。

「意外に根に持つタイプだな」
「子供があんな、悪魔みたいな生き物だなんて知らなかったんだよ……」
「知らなかったのか? 子供は本物の悪魔より恐ろしい生き物だぞ」

 したり顔で一回、大きな尻尾を振って見せるファルクレイの澄まし顔が憎い。

「子供はな、興味のあるものに対して大人のようには振る舞えないんだ」
「……」
「扱い方を教えて好奇心を満たしてやれば、存外、すぐに満足するものさ」

 僕はあんまり、自分より小さい子供を構ったことがない。そうじゃなくたって、子供ってなんだか、面倒くさそうだし、ワガママだし、すぐに怪我をしそうで危なっかしくて苦手だ。
 ましてやクローシェは五才。とてもじゃないけど、未知の生き物にしか見えなかった。

「……アンタ、本当に悪魔なのか?」
「信じる信じないはご自由に」
「……テキトーだな」

 なんだか気の抜ける返事だな、というのが正直な感想だった。
 だいたい、見た目はどう見たってなんかデカすぎる犬だ。それも、本物の犬って言うにはなんだか、現実離れしすぎていてちょっとしたぬいぐるみに見えるような。

「悪魔というのはな、悪魔だと信じさせるのは逆に面倒だったりするんだ」

◇ ◆ ◇

 結局、夕飯まで食べさせてもらって、出発を朝早くに遅らせた。
 正直な話をしてしまえば、この人たちに、俺の面倒を見る義理なんて本当はどこにもないのだと思う。
 さっきの偵察だって、用心棒代わりにファルクレイとクローシェが一緒に付き添ってくれたのは、この人たちの気遣いだったはずだ。

「お父さん、お手伝いするね」
「クローシェはいいこだな」

 人の尻尾でさんざん、ファルクレイの背中をたたいて満足したらしいクローシェが立ち上がってフォルカーさんという、強面の男の元へ駆け出していく。
 フォルカーさんはすごい。
 顔は怖いし、男のくせにピンクのエプロンなんてしてるけど、料理がすごく上手いし、なによりも人に対する気遣いが丁寧だ。僕のような飛び入りの乱入者も、嫌な顔一つせずにおかわりの肉団子スープをよそってくれる(それも、今まで食べたことがないくらい複雑で丁寧な味で、頭の中がパンクしそうだった)
 でも、顔が怖いから、途中まで僕は犬鍋にでもされるんじゃないかって、ちょっと疑ってかかっていた。

「……親子なの?」
「いいや、血は繋がっていない」

 義理の親子、というやつなのだろうか。確かに、クローシェはフォルカーさんに似ているとは言い難い。
 でも、こうやって見ていると本当に仲の良い親子そのもので、僕には逆に、血が繋がっていないという事実の方が不思議に感じられる気がする。
 僕がこんなところで、混ざっていていいのだろうかって、すごく不思議な気分になる。

「……じゃあ、仲が良いんだな、二人とも」
「まだ一年も一緒にいないさ」

 え、と思って、ちょっと驚きながらファルクレイの方を振り返る。
 ファルクレイは床の上に寝そべって、のんびり、リラックスしながらゆっくりと尾を振っていた。
 どう見ても本物の家族みたいだから、よっぽど小さい時から育ててもらっているものだとばっかり思っていた。

「近しい相手と、美味しく食事をして時間を楽しむ。ご主人様は、時間のかけ方が上手いんだな」

 うんうん、と頷く辺り、なんだかんだで忠誠心、はあるのだろうか。

「家族というものの形も、いろいろある」

 見てみると、フォルカーさんに抱えられたクローシェが、そろそろ船を漕ぎ始めていた。
 血が繋がってないなんて知らなかったら、仲の良い親子だと微塵も疑わなかったかもしれない。

「……訂正する。あの二人、じゃなくて、アンタたち仲が良いんだな」

 この人たちはきっと、普通の人と少し、形は違うかもしれないけれど、家族なんだろうなって思う。
 それは多分、僕が母さんや父さんと死に別れても家族なのと同じことなのかもしれない。
 僕が祖父の血をどんなに拒んでも、決して他人になることが出来ないのと同じことなのかもしれない。

■ 十日目


 見たことがない女の子の手配書に、大きな黒のバッテンが一つ。
 どういう意味なのか分からない『WANTED』の綴りには二本の斜線が引かれて、上から赤いインクで『GO FARM』の文字。
 驚く僕が思わず手配書とトムの顔を交互に見つめると、トムは何だかひどく居心地が悪そうな顔で、僕と視線をあわせないようにそわそわと他の場所へ目をそらす。
 手には大きな、沢山のパワーストーンが入った賞金袋。

◇ ◆ ◇

 地下牢への偵察が終わったら、みんなで広庭で落ち合おうって約束して、一番最初に到着したのは僕だった。
 アザミや紫苑、ブーゲンビレアや韮が色とりどりに咲き乱れる生垣の庭園は、一年中、色々な花が入れ替わりに咲くように計算されているみたいだった。王さまの庭らしい、そこら中に人の手が入った整った庭だと思う。
 次の到着したのが、トム。
 千日紅と蛍草の間の生垣から見慣れた頭が見えて、僕は反射で声を掛けていた。

ノエル >>
……トム!
トム >>
や、やあ、ノエル。

 驚いたのか、それともまずいタイミングで声を掛けてしまったのか、びくっと振り向いたトムが妙にカクカクと片手を上げる。
 なんか、ちょっとの間、別行動をしていたから、改めて会うと変な感じだ(正直、未だになんでトムと一緒に行動してるんだって言われると、返事に困る)(なんとなく、とかその場の流れ、っていうやつだ)(だから、こうやってちょっと間を開けてから会うと、どんな顔をしていいのか分からなくなってしまうんだと思う)

トム >>
……他の人は、まだなんだ。
ノエル >>
うん、アルもあっぷらも、おねえちゃんも着いてないみたいだな。砂地で練習試合するって言ってたから、長引いてるのかも……。
トム >>
あ、なら、ちょうど良かったかも……。

 うろうろ、きょろきょろ、落ち着きのない視線のトムが、ぴたりと僕の方を見る。
 なんだか、言いたいことを言えてないような、でもどう切り出したらいいのか、よく分からない感じの目。

トム >>
実はさ、ちょっとだけ、付き合って欲しい場所があるんだけど……。

◇ ◆ ◇

 庭園の中で、やっほー、なんて能天気そうな声でルリアンナが手を振っている。
 周りに王さまの軍勢がいたらどうするんだろうとか、まったく心配してなさそうな明るい声。
 隣で重そうなため息を吐いているのはラルフで、手にはなんだか、大き目の袋。パワーストーンを入れるために買った、小さな革袋に良く似ている。

ルリアンナ >>
いやー、悪いわね、足運んでもらっちゃってさ。賞金はこっちで、一括で管理してるのよ。

 トムが勢いに気圧されたように頭を軽く下げながら、「あの、これ」と何だか、荷物袋の中をごそごそと探る。
 結局、何の用事に付き合わされてるのか教えられなかった僕は、一人だけ状況が分からずにただぼけっと立っていることしか出来そうにない。

ルリアンナ >>
厄介な人狩りが一人捕まって、助かったわ。それにしても、貴方みたいな子供がねぇ……未来の英雄って言うのは、見た目じゃ分からないもんなのよね。
ラルフ >>
褒めてんのか貶してるのか、どっちかハッキリさせてやれよ……ボウズが困ってんぞ。

 褒められている時って、くすぐったくって照れくさくて、どう反応すればいいのか分からなくなる時がある。褒められることに慣れてなかったら、尚更だ。
 トムは絶賛、その真っ最中らしくて、オロオロと荷物袋をあさっていると、ようやく見つけたらしい紙切れをルリアンナに差し出す。
 それを横目で確認したラルフが、ほらよ、とトムに革袋を渡した。

ラルフ >>
よくやったな。大手柄だぜ、ボウズ。
ルリアンナ >>
本当、助かっちゃったわ。こんな強い参戦者がいるなら、この一揆も安泰ってもんよね。

 僕がトムから事情を聴けるのは、この二人と別れた後、おねえちゃんやアル達と落ち合うために戻っていく道の途中のことだ。
 人狩りという、一揆の参戦者を狙って襲撃して、アイテムやパワーストーンを奪っていく人間がいること。ルリアンナたちはそういった人狩りを相手に、賞金を懸けて賞金首として指名手配して対抗していること。捕まった人狩りはその場でひっ捕らえられて、ルリアンナたち一党に引き渡されると農場という場所へ連れて行かれること。トムの賞金をルリアンナ達が用意してから落ち合う手筈になっていたこと。
 人狩りと呼ばれる奴らがいる、と言うこと以外、ぜんぶ後から知ったことだ。

ルリアンナ >>
だからさ、ついでにもう一個、頼まれてくれると助かるんだけど……。
ラルフ >>
お、おい、まさかこんな子供に……。

 慌てるラルフの様子なんて何のその、とでも言いたげに、ルリアンナはまったく取り合う様子もなく、笑顔でいつも通りに言葉を続ける。

ルリアンナ >>
この先にいる、ブランチマンっていうちょっと怖いオジサンがさ、一揆の人たちを足止めしてて、とーっても困ってるんだけど……。
ノエル >>
……へ……?

 何がなんだか話がまったく分からない僕は、思わず、トムの方を振り返る。
 肝心のトムはと言えば、ルリアンナの突然の言葉に、まだちょっと地に足がついてないような、照れてるような、でもちょっと興奮でふんにゃりしているような顔で、へ、と首を傾げる。
 両手に持った、大きな革袋を見れば一目瞭然。
 とてもじゃないけど、断れるようなタイミングじゃなかった。