いつだったか、夏祭りの日の終わりにヨシュアに言ったことがある。
「俺は、絶対に忘れないから」
 その日の出来事で俺の胸の銃創は跡形もなく消えてしまったけれど。以前にも、ヨシュアは三週間のゲームの後わざわざ俺が撃たれていない世界にシフトして、自分の痕跡を消し去ろうとしていたけれど。そのことで、ヨシュアがそれを強く望んでいることは分かっていたけど。それでも。
「忘れたって、絶対に思い出すから。ヨシュアが消そうとしたって、俺が覚えてるから」
 できるなら、いつかヨシュアの望みが俺の望みと同じものになるようにとずっと願っていた。


*
*
 ネク君が、僕の気が変わらないうちにどうしてもと急かすものだから、彼をUGに招くための契約はその日のうちに交わした。
 いや、それでは全部の責任を彼に押し付けるようで妥当ではないだろうか。むしろ焦っていたのは僕の方かもしれない。言葉にしない分、より深くネク君を求めていたのはきっと僕の方だったろうから。
 UGで生きていくための条件はただ一つ、死神のゲーム内でポイントを稼ぐことだ。壁の作成などの補助担当の子、参加者殲滅のための攻撃担当の子など役割は様々だけれど、ポイント制度はご多分に漏れずコンポーザーである僕にも当てはまる。ただ僕の場合はゲームの開催自体が役割であるというだけで、役目を果たさなければ消滅してしまうのは他の死神の子たちと何も変わらない。
 RGで『生きて』いる人間はみんな無意識のうちにソウルを生成し、内包しているものだけれど、『死んで』UGに存在している者たちは自分でソウルを生成するということが出来ない。理由は簡単だ。ソウルとは生体エネルギーであり、UGの存在は既に死んだ後のものだから。死人に生体エネルギーは生み出せない。
 それでも存在し続けるために必要不可欠であるソウルを、UGでの役割という代償を払うことによってポイントを獲得し、ソウルに換えることで死神は存在していられる。誰が作った制度なのかは知らないけれど、僕が来る前からこうだったから、きっとUGにおける絶対的な摂理なのだろう。天使にまで上り詰めるとまた世界の法則が変わるらしいのだが、残念ながらそこまでは僕も興味がない。
 けれどネク君は以前のゲーム中に一度、『今後一切のゲームへの再参加を禁じる』というペナルティを科せられているために、UGでの役割自体を剥奪されている。なので不本意ながら、ネク君との契約は『眷属』という形を取らざるを得なかった。
 不本意と嘯きながらも本当はペナルティを無効にすることもコンポーザーである僕にとっては不可能ではなかったのだけれど、それは酷く面倒で手間がかかる上に、死神としてUGに存在しているネク君の姿が想像できなかった、という個人的な思いもあったりする。僕一個人としての感想というだけでなく、彼には他人を踏み台にしてまで自分の存在を保ち続けるという死神としての資質がないように思えたからだ。きっとそれでは、ネク君にとっても辛いばかりになってしまうだろう。
 だから最終的には彼が望んでいた通り、別の世界のネク君がそうであったように眷属という形で落ち着くことになったのだ。そのときは悪趣味だと平行世界の自分を罵ったほどだというのに、結果的に自身も同じ道を辿ることになるとは皮肉なものである。結局どこの世界に行っても、僕とネク君にとっての最善の選択というものはそこに行き着くのかもしれなかった。
 眷属とは、端的に言えば僕のソウルに依存するということだ。辞書を引けば、血のつながりのあるもの、一族、親族、従者などと出てくるけれど、意味合いはさほど変わらない。ネク君が生成できない分のソウルを僕が負担して、分け与えるという関係になるからだ。
 契約自体はさほど難しいものではないので、理論上はUGの力を持つ者なら誰でも眷属を得ることは可能なのだが、何せ一人分のソウルで二人分を賄わなくてはならないので、実質コンポーザー程度のソウルの保有量がないと難しい。僕の場合はソウルの保有量が桁違いすぎて、むしろ有り余っているほどなので何も問題はないのだけれど。
 ネク君は僕にかかる負担を以前からしきりに嫌がっていたけれど、その実、本当は身も心も余すところ無く支配されることを望んでいた。それにこれは僕だけに負担がいっているように見えるけれど、そうではない。ネク君の存在こそが僕の精神安定剤のようなもので、彼の存在がなければもはや僕は平常心すら保っていられないのだ。
 いや、ぐちゃぐちゃと言い訳のようにどうでもいいことまで引っ張り出してしまったけれど、要するに僕はネク君の身も心も自分だけのものにしたくてたまらなくて、結局はそれを実行するに至った、というだけの話なのである。だから、これはむしろギブアンドテイクと言っても差し支えない関係なのだと言えよう。
 契約を交わした後は、ネク君の私物を回収するためと彼のRGでの痕跡を消す細工をするために、二人でRGへ出かけた。けれど彼がRGから持ち出した自分のものはほんの少しで、何枚かの洋服と、ヘッドフォンの充電器と、身につけている制服に携帯電話くらいだった。
 それは彼が自分についてきてくれるという決意の強さを表しているようでもあって、ネク君の存在がRGから消えることへの感傷を抱いてしまっている僕の方が変なような気がする。そんな感傷を抱いたって、僕はネク君を自分のものにすることを止めるつもりはないのだから。
 そうしてRGのいくつかの場所に布石を置いて、世が明けるころにはネク君に関する全てが跡形もなくなっているように細工を施した。ネク君が生まれる以前の時間からとか、ネク君の生まれていない世界にシフトだのをどうこうというわけではなく、彼が存在していたままの世界で始めからなかったように上塗りして記憶も上書きしただけだから、多少の違和感は残るかもしれないけれど、きっとそのことに気づける人物はどこにもいないだろう。
 その日は寝室のベッドで、自分の存在が消えていく時間の今まさに真っ只中にいるというのにひどく嬉しそうな様子のネク君を強く抱き締めたまま、二人の他には何も拠りどころのないような夜を過ごした。


 何だか前日の出来事自体が夢のようにすら感じていたけれど、目覚めても腕の中のネク君は消えたりなどしておらず、すうすうと安らかな寝息を立てては僕の胸を温かくしている。
 けれど、そんなネク君を愛しく思って暢気にやわらかな日の光の色のような髪を撫でていられたのも、ほんの僅かな時間だけだった。なぜなら、目覚めてすぐ、ぱちぱちと瞬きを繰り返した後にネク君の口から発せられた言葉は次のようなものだったから。
「アンタ……だ、れ……? ここ、どこだ……?」
 晴天の霹靂とは、まさにこのことだったろう。さすがに動揺して驚きは隠しきれなかったものの、それでもなんとかみっともなく取り乱したりせずにいられたのは、こうなる可能性を考慮していなかったわけではないからだ。頭の片隅に、もしかしたら、という思いはあった。その上で踏み切れたのは、それは確率としてはごくごく低く、滅多に起こらないもので、また僕自身もそうであって欲しいと強く願っていたからで。
 RGからUGへの死を介在しない高位変換による反動、あるいは眷属契約の副作用だろうか。以前ゲームで一番最初にUGへと招いた際、彼の記憶を奪っていたことも災いしたのか。
 波動の変換によるショックでの記憶障害。そうとしか言いようがなかった。さすがに動揺を隠しきれずにいる僕を前にネク君は変に取り乱したりせず、驚くほど落ち着いた様子でいてくれたのが幸いだ。
 普通ベッドの中で見知らぬ男と二人きりというような、こんな状況ではこうも落ち着いていられないだろうと思うのだけれど、肝が据わっているのか、それとも無意識ながらも僕の存在を心の隅で認識してくれているのか。
 じっと見つめてくる青い瞳に、とにかく何か言わなければ、と闇雲に口を開いた。
「ここは……渋谷、UGだよ。僕の名前は……桐生義弥。パパとママと……君だけは、ヨシュアって呼ぶけど」
 素直に本名だけで名乗ることができなかったのは、ネク君の何も知らないような無垢な瞳に怯えたせいだろう。なんとなく、僕の浮いた容姿に横文字の名前ではネク君にどんな表情をさせてしまうだろうと、情けなくも及び腰になっていた。案の定ネク君は不思議そうに首をかしげて、僕の望むとおりの呼び名は口にしてくれない。
「桐生、さん……? えっと、俺……なんで……UGって」
「うん……そう、だね。どこから説明しようか……んー、ネク君は、自分の名前は分かる、のかな」
 僕がネク君の名前を口にしたことで彼はひどく驚いたようだったけれど、逆にそのことで自分と僕との関係の何がしかを察したのか、明るい色の髪を揺らして静かにこくりとうなずいた。
「そ、っか……んん、それじゃあね、驚きながらでいいから聞いて欲しいんだけど」
 我ながら無茶な前振りだとは思いつつも、その言葉を皮切りに横たえていた身体を起こし、ベッドの上で向かい合う形で少しずつこちらからの説明を主体に、ネク君への質問も交えながら話を聞いてみる。すると、どうやらあの死神のゲーム以前の記憶はきちんと持っているようで、それ以降がすっぽりと抜けてしまっているようだった。
 ゲームの記憶のないネク君にUGのことやら、自分との関係を説明するのはひどく手間取ったけれど、特に今この状況を理解してもらうためには僕とネク君との関係を明らかにしないわけにはいかない。
 UGの説明程度ならまがりなりにもコンポーザーとしてそれなりに分かりやすく伝えられたと思うけれど、ただでさえ複雑な空想めいた話と、彼が当事者である色恋沙汰をまとめて話したところでどの程度理解してもらえるか不安ではあった。
「えっと……簡単に言うと、ここは死んだ後の世界みたいなもので、アンタはここの王様みたいな人で」
「うん」
「俺は、アンタと……こ、こいびと、ってやつで……」
「うん」
「今までの生活を捨てて、アンタについてきた……ってことで、いい、のか?」
 なんというか、まあ、大体合ってる、としか言いようがない。
「信じて、もらえる……かな?」
 自分でもここまで間の抜けた台詞を、自覚しながらもあえて発したことが未だかつてあっただろうか、と思わず自嘲してしまうくらいには現実味のない話だった。ネク君の記憶が僕と出会う以前まで巻き戻っているというのだから、尚更無茶な言葉だっただろう。
「……そんなの、信じられるわけ」
「うん」
 もっともな返答だった。だからさほど僕も驚かない。
「俺は、俺だけがいればよくて……いなくなるくらいなら、最初から、誰もいないほうがよくて……」
「……」
「なのに、俺が、アンタみたいな人と、なんて」
 その言葉を聞いて、ああやはり今のネク君はそっくりそのまま、あのころのネク君なのだなと奇妙な感慨を抱いた。いびつな痛みを抱えたままの、泣き出しそうな子ども。今の僕は本来のオトナの形を取っているせいか、ネク君の対応もあのころより当たりは柔らかく感じるけれども、それは変わらないのだ。
 けれど、いくら今のネク君が記憶をなくしているといえども、僕はその言葉を肯定するわけにはいかない。
「うん。でもね、全部本当のことなんだよ」
 信じてもらえないのも無理はないし、信じられない方がむしろ真っ当な反応なのだと思う。けれど、僕は僕とネク君についての全てのことを、なかったことにはできないから。
「僕は君に嘘をついているわけでもないし、本当のことしか言ってない。僕を疑うのなら、この胸を裂いて確かめてくれてもいいよ」
 こんな身体なんてソウルの結合規律で何とでもなる紛い物の入れ物だけれど。僕の言葉に驚いた様子のネク君が息を飲んだのがわかる。
「ネク君に信じてもらえない僕なんて、何の意味もないから」
 紛い物の瞳で、それでもこの気持ちが少しでも伝わるようにと真摯にネク君の瞳を見つめ続けた。
 僕のその言葉を聞いたネク君はしばらく考え込むように黙り込んで、探るようにこちらの様子を窺っている。
 けれど、僕はよほど情けない顔を晒してしまっていたのだろう。彼の方こそが困ったように苦笑を漏らしてから、ゆっくりと口を開いた。
「信じる、よ」
「え?」
「確かに、あんまりにも突拍子もない話で、びっくりしたし、今もあんまりよくわかってないけど……そんな顔されたら、俺、アンタのこと疑おうっていう気持ちになれないみたい、だから」
 自分でもこんな話誰が信じてくれるだろうと思っていただけに、ネク君のその言葉はまさに本日二度目の晴天の霹靂だった。けれど彼の誠実な青い瞳を見たらそれこそその言葉を疑おうだなんて到底思えなくて、ただ感謝と共に素直に頭を垂れる。
「……そっか。ありがとう」
 自分でも自然に笑みがこぼれたのが分かったけれど、目が合った途端ネク君は一瞬驚いた様子の表情を見せた後、なぜか気まずそうにその瞳を伏せてしまった。どうしてかは分からないものの、ほんのりと赤く染まった頬を見るとどうやら照れているらしい。
「え、と……でも、そしたら、俺……どうしたらいい?」
 誤魔化すように早口で言い募る彼に、不思議に思いながらも確かに今後のことを考えるのが先決だろうと見ない振りをしてあげることにする。
「ああ、そっか。とりあえず僕はそろそろ仕事しないとなんだけど……」
 今現在の状況がどうであろうと、天変地異でも起こらない限りは日々の勤めというものは等しくやってくるものだ。幸いネク君はまだ現状把握中、というのもあるけれど、比較的落ち着いてくれている。ただ記憶がないままでUGを出歩かれるのはさすがに心配だから、そこだけ気をつければ大丈夫だろう。のんびり記憶が戻るのを待ってくれれば、とは楽観的に考えすぎているだろうかとも思ったけれど、今のところ他に方法がないのだから仕方ない。
「とりあえずは自由にしてくれてて構わないよ。ただ今のままで出歩かれると心配だから、隣の部屋から先には出ないで欲しいかな。ごめんね、窮屈な思いさせちゃうかもしれないけど……書斎なんかは、好きに使ってくれていいから」
 自分で言いながら随分自由度の低い自由だなと思ったものの、ネク君も僕以外に寄る辺のない今多少なりとも不安があるのだろう、素直にこくりとうなずく様子に僕もほっと息をつく。以前聞いた記憶が間違っていなければ、ネク君も読書を好んでする人種のはずだから、退屈しのぎにはもってこいだろう。
「書斎の方には後で案内するけど、僕のオススメは入って右から二番目の本棚かな。特に、上から四段目くらいが読みやすいと思うけど。とりあえず」
 言いながら、毛布から抜き取った足をベッドから下ろして立ち上がった。気持ちを切り替えたいというのもあったし、始業時間が迫っているという切実な問題もあったので。
「そろそろ着替えようか」



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