橙色のカーテンが風に揺れている。 こんな派手な色は嫌だと言ったのに、最近風水に凝っているらしい母さんに強行突破された。 そもそもカーテンレールとカーテンの取り付けについての関係性がまるで分からない自分には、拒否権などあるはずもなかったが。 その色を見るたび、俺は真っ先にヨシュアの携帯の色だ、と思う。 「ヨシュア」 床に押し倒されたヨシュアは、上にのしかったまま肩口に顔を埋める俺に抵抗ひとつしない。 いつもの柔らかいベッドではなく床を選んだのは、それが一つでもこいつから何らかの反応を得る一因になりはしないかという期待を込めてだったのだけれど、無駄に終わったようだ。 「よしや」 気まぐれに、初対面のときに一度名乗られたきり、用途のない名前を呼んでみる。 何ということのない、単なる音遊びの偽名だという。 こいつが偽名を名乗った理由も、そもそも『ヨシュア』という名前が本名なのかすら俺は知らないのだ。 ヨシュアは何も言わない。 「ごめん」 硬い床に倒されて、俺の体重を受け止めている背中はきっと痛いに違いないのに、困ったようなため息が漏れるだけだ。 痛むであろう背中に、小さく謝る。 こんな夜中の密会を始めてから、ヨシュアはずっと俺に優しい。 本当はゲーム中から俺の知らないところで優しかったのかもしれないけれど、人を食ったかのような態度とあまりに酷い仕打ちに、全て誤魔化されてしまった。 それでも俺が今こうしていられるということは、突き詰めればヨシュアのおかげで、やはりヨシュアはずっと優しかったのだと思う。 ヨシュアは、何も言わない。 俺は、ずっとヨシュアを呼んでいる。 「ヨシュア」 こいつは俺が望むことを大抵嫌がらない。 抱き締めて欲しいと言えばすぐにでもやわらかい仕草で両腕を広げるし、キスが欲しいと言えば頬にでも額にでも、もちろんくちびるにでも口付けが降ってくる。 抱いてくれと請えば、大抵は応じてくれる。 「どこにも行くな」 ヨシュアは何も言わない。 約束できないことには、ヨシュアは何も答えないのだ。 約束しないのは、紛れもなくヨシュアの優しさで、そんなヨシュアの優しさが俺は苦しくて苦しくて、うまく息もできない。 俺の望みに応じるときも、ヨシュアは言葉少なだ。 何も言わずに、ヨシュアはいつも優しい。 そんなヨシュアは、いなくなるときもきっと何も言わないのだろうと思うと怖くなる。 「ネク君、重いよ」 やわらかな低音が鼓膜を揺らす。 今までヘッドフォンで聞いたどんな音楽よりも心地いいその声が、俺はたまらなく好きなのだ。 いっそそのときが来たならば、その蠱惑的な音色で高らかに別れを告げればいいのにと思う。 そうでなければ、いつまでも俺はこいつを待ってしまうのだ。 こいつがスミレ色のカーテンを揺らしてこの部屋に訪れるまで、渋谷中を振り返って過ごした日々のように。 「今日は随分甘えたさんだね」 優しく髪に触れるゆびの温度に泣きたくなった。 こいつと俺では住む世界が違っていて、こいつが会う気をなくしたならいとも簡単に永久の別れが訪れることを知っている。 俺とこいつを繋ぐヘッドフォンの群青はやっぱりこいつには似合わなくて、目を射るような鮮やかさの赤が似合うことを知っている。 「ヨシュア」 その赤とヨシュアの時間を俺が知る必要なんてどこにもないのに、それはずっと心の奥底でくすぶっていて、ちいさく抜けない棘になる。 俺はとてもちっぽけで、こんな風にヨシュアに優しくしてもらえるだけの価値があるのか分からない。 そうありたいと思うのが精一杯の、ただの子供なのだ。 飽き性のこいつは、すぐにでもこんな子供には飽きてしまうかもしれない。 小さな不安とくだらない劣等感はいつでも積もり続けていて、願わくばそれがヨシュアを不快にさせなければいいのにと思う。 「一緒にいたいよ」 子供のわがままとしかとれないような言葉を漏らす自分に嫌気がさす。 ヨシュアの服を掴む指が震えたのを気付かれたくなくて、ぎゅうと力を込めた。 何も知らなかった俺が、少しずつヨシュアのことを知るたびに怖くなる。 もう、ただ知るだけでは満足できなくなってしまった。 とても顔など上げられないまま、ヨシュアの腕を手探りに辿って手のひらを重ねる。 震える指をなだめるようにヨシュアの方から絡めてくれて、泣きそうになった。 こんなに浅ましい俺をお前に知られたくない。 「ここにいるよ」 それでも、そう言ってくれるヨシュアを。 優しく触れるヨシュアの手を。 俺は子供の手で、精一杯握り返すしかないのだ。 こんな、他愛のないカーテンの色でお前を思い出してしまう俺では。 たとえヨシュアが声高に別れを告げる日が来たとしても、俺はずっとお前を待ってしまうだろうから。 すばせか発売一周年おめでとうございます。 20080727 →次へ |