張り詰めた空間に息苦しさを感じて、ぱちりと目が覚めた。
 見慣れたヨシュアの寝室の天井にほっとしながら、ぼんやりとする頭をぶんぶんと振りながら身を起こすと、やはり周囲の雰囲気に違和感を感じる。上手く言えないけれど、空気全体がぴりぴりと緊張しているような。
 ここは審判の部屋の奥に位置するヨシュアのプライベートルームで、渋谷の中でも一番俺が安心できるはずの場所だというのに、この落ち着かない気分は何だろう。俺がヨシュアの手でこちらに連れて来られてから、UGの住人になってからというもの、こんな風に胸が騒ぐような、UG全体が落ち着かないような空気を感じるのは初めてだ。
 とっさにいつもの癖でヨシュアの姿を捜したけれど、今はゲーム中で不在のはずだ。もぞもぞと動いて布団から脚を出そうとすると、掛けていたのかただ抱き締めていたのかも分からない掛け布団が余計にぐしゃりとひしゃげてしわを作る。ヨシュアのいない寂しさから本能的に抱き枕代わりにしていたのだろうけれど、ただふわふわと柔らかい布団はかすかに残り香がするものの、彼の腕一本分の安心もくれなかった。
 ヨシュアが戻ってくるまでもう一眠りしようか、それともいい加減ベッドから抜け出して本でも読もうか、と思案したところで。
 こんこんこん、と些か乱暴な、ついでに言うといつもよりも回数が一回多いノックが部屋に響いた。
「ネク君、起きてる?」
 けれど扉の向こうから聞こえたのは紛れもなくヨシュアの甘い声で、ぱっとベッドから飛び出すとすぐに施錠されたままの扉へと駆け寄る。この扉は一度閉まってしまうとヨシュアの手でなければ開けられないから、今すぐにでもヨシュアの顔が見たいのにと思うと板一枚の隔たりがもどかしい。
「ヨシュア」
「ああ、起きてたね。よかった」
 恐らく開錠の操作をしているのであろう間が少し空いて、すぐにキィ、と聞き慣れた音を立てて目の前の扉が開かれた。僅かに開いた隙間から細身の身体を滑り込ませるようにして無駄のない動作で部屋に踏み入ると、緩やかに波打つ柔らかで繊細な色の髪を揺らしながら、少しの音も立てることなく丁重に扉を閉めるヨシュアに微かな違和感を覚える。開錠の操作が二度手間になってしまうというのに、つっかえも何も挟まずに扉を閉めるだなんて珍しい。
 起きたときからずっと俺が感じている、このぴりぴりと張り詰めた空気と何がしかの関係があるのだろうか。
「おかえりなさい、ヨシュア」
「うん、ただいま……って言いたいところなんだけど」
 珍しく歯切れの悪い言い方をするヨシュアを不思議に思いながら、常と変わらぬ穏やかな物腰に怜悧な美貌を湛えた姿にほっとした。けれど、滅多に着崩すことのない暗色のスーツが(ちなみに今日はモスグリーンの背広にアイボリーのシャツを合わせている)僅かに乱れていることに首をかしげる。大判の花柄が舞い踊る派手な紫地のネクタイが不恰好に緩んでいるのを、思わず伸ばした手で直しながら、先の言葉の続きを促すようにヨシュアの顔を見上げた。本来の姿である大人のかたちをしているヨシュアとは頭一つ分二つ分身長差があるから、立ち話をしていると恐れ多くも首が疲れる。
「まだ今回の仕事が終わったとは言えない状況なんだよねぇ……」
「?」
「ちょっと厄介なことになってるっていうか……とりあえず外に出たいから、服着てもらっていい? このままここにいるのは危ないだろうから」
 言われて自分の身なりを振り返ると、下着にヨシュアのワイシャツ一枚という丸きりいつもどおりな格好だ。流石の俺でも、このまま外にでるのは憚られる。
 常と変わらぬのんびりした口調だけれど、ヨシュアは少し焦ったように辺りを警戒していて、俺を急かしているのがわかったので、何も言わずにうなずくとすぐにクローゼットを開けて簡単に出かけられそうな服を見繕った。ぱっと手を伸ばして手に取ったのが以前通っていた高校の制服だったので、着慣れているしこのまま外に出ても一番問題ないだろうと思い、その一式で揃えることにする。身につけているのは下着だけのむき出しの脚でズボンを穿き、全部の丈が余ってしまっているヨシュアのシャツを脱ぐと、懐かしいブレザーの制服に着替えた。
「あと、外に出てから他の死神の子たち見かけても声掛けちゃダメだよ。目が赤かったり挙動不審だったりしたらもっとダメ」
「う、うん」
 不思議なことを言うものだと思ったものの、ヨシュアの言うことだからそれなりの理由があるのだろう。今こうしていても感じる緊迫した空気のこともあって、素直にうなずいた。
「それから」
 俺が着替える間にてきぱきと注意事項を並べ立てていたヨシュアが不意にこちらへ手を伸ばしたかと思うと、中途半端に結び掛けだったネクタイの端を奪われて、丁寧にきゅっと結んでくれる優雅な指先に思わず見とれる。
「絶対に、僕の傍から離れないで」
 続けて落とされたこの真摯な言葉に、一体どこの誰が逆らえるというのだろうか。
「うん」
 ほんの少し身を屈めて、まっすぐに覗き込んでくる澄んだスミレ色の深さに思わず息が止まりそうになったものの、なんとか頭を動かしてうなずいた。



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