※性描写を含みます。ご注意ください。





 ヨシュアの質問はいつも唐突で、大抵の場合それは単なる彼の気まぐれだ。
「僕にとってのネク君って、何?」
「ふ、え?」
 だからそんなヨシュアの質問の意図をいつも上手く汲み取ることができなくて、今回も思わずヨシュアの膝の上で首をかしげてしまった。
「なに、って……」
「ほら、色々あるじゃない。知り合いとか、友だちとか、赤の他人とか」
 その例えはどうかと思ったけれど、端的に言えばヨシュアと俺との関係ということだろうか。ヨシュアにとっての俺、ヨシュアにとっての俺。
 そんなのは当のヨシュアが一番分かっていることではないかと思ったけれど、今質問しているのはヨシュアなのだから、俺はない頭をひねって必死に回答を導き出すしかない。
「ん、んん……あ、ぺ、ペット、とか?」
 咄嗟のアドリブにしてはなかなか上出来な答えが返せたのではないかと自分では思ったのだけれど、その言葉を聞いた途端ヨシュアの優美な曲線を描く眉が不機嫌そうにぎゅっと顰められた。どうやらヨシュアの求める回答はこれではなかったらしい。愛玩用の生き物だなんて、少し欲張りすぎただろうか。
「……」
「う、あ……んと、んと……じゃあ、退屈しのぎためのオモチャ、かな……?」
 今度こそ欲張りすぎず実に身の丈にあった事実であり、出しゃばりすぎることのない答えではないかと思ったのだけれど、ヨシュアの不機嫌な表情は一向に晴れることはなかった。むしろますます機嫌を損ねてしまっているような気さえする。
「よ、ヨシュ……ア?」
「……じゃあ、ネク君にとっての僕って、何?」
 スミレ色の鋭い眼光でこちらを見据えながら吐き出された言葉に、思わずぴんと背筋を伸ばす。それなら簡単だ。俺が思っていることを素直に言えばいいのだから。
「ヨシュアは、俺の……飼い主……だろ?」
「……」
「あ、う、も、持ち主、とかっ」
 俺の言葉を聞いた途端にますますしかめられた表情は、苦虫を噛み潰したような顔、というのがまさにぴったりで、不機嫌というよりはふてくされてしまっているようにも見えた。けれど、その表情のワケを聞く間もなく。
「……僕、もうネク君とえっちしないから」
 そう言い放ったヨシュアにあっという間に膝の上から下ろされ、取り付く島もないままに冷たい床に放り出されてしまった。


 そのあとのヨシュアはもう何を言っても返事をしてくれなくて、終わったと言っていたはずの仕事の書類をどこからともなく呼び出し、黙り込んだまま目を通し始めた。
 ヨシュアのことだから仕事なんて引っ張ってくればいくらでも出てくるのだろうけれど、今日の分はもう終わったと言っていたのに。ヨシュアはその日の仕事を後回しにしたりしないけれど、明日できることは明日やるのがモットーだ。だからそれは単純に、仕事終わりの時間をヨシュアは俺と過ごす気はないというあからさまな拒絶の意思を表していたのだろう。
 いくつかの書類の束に時々何かを書き込みながら、全て捲り終えてヨシュアが伸びをするころには、もう随分な時間が経っていた気がする。その間居心地の悪いまま、それでもどうしていいのかわからずにヨシュアの足元に座り込んでいた俺は、すっかり身体が冷えてしまった。ヨシュアが俺のために玉座の横に敷いてくれたブランケットの上に戻っていいのかどうかすら、わからなかったから。
 けれど、もうそろそろ寝室に引き上げる頃合だろうかとその端正な造作の顔を見上げた俺に、ヨシュアはちらりと一瞬だけ冷たい視線をくれただけだ。
 ヨシュアの意向を掴めないままでは動けない俺に、ようやく形のいい柔らかなくちびるが開いてぽつりと落とされた言葉は、「僕今日こっちで寝るから。ネク君はベッド使いなよ」の二言だけ。
 あまりにもショックが大きすぎて一瞬頭が言葉の意味を理解するのを拒否したけれど、じわじわと冷静になる頭で理解できたことは、ヨシュアは今日俺と一緒に寝る気はないのだという単純なことだった。この部屋で他に休めそうな場所などないから、きっとヨシュアはあの冷たい玉座に腰掛けたまま休息を取るつもりなのだろう。
 こちら側に来てから、ゲームでヨシュアが留守にしているとき以外、同じベッドで眠らなかったことなんてない。それはヨシュアにとっても俺にとっても大事なことの一つで、お互いを確かめるための一種の儀式じみた行為だっただけに、拒まれたことにショックを隠しきれなかった。
 けれどヨシュアの命令は俺には絶対で、逆らうだなんてことすら考えられないまま、気が付けば寝室のベッドに寄りかかるように床に座り込んでいた。
 審判の部屋から寝室まで歩いたはずのほんのわずかな記憶すらなくて、辛うじて身体に巻きついている掛け布団も身に覚えのないものだ。それでもヨシュアは審判の部屋に留まったままで、今ここには俺しかいないのだから、きっと自分でやったのだと思う。
 床に座り込んだのが無意識だとしても、どう見ても身体を休めるのには到底適さないであろう玉座で目を閉じているヨシュアのことを思うと、とても自分だけベッドに潜り込む気にはなれなかった。
 ヨシュアがどうしてあんなことを突然言い出したのかが分からなくて、ヨシュアの気持ちが分からなくて、悲しい気持ちでいっぱいだったのにあまりに混乱しすぎていたせいか、涙すらも出てこない。
 結局いつ眠ったのかすらわからないまま、それでも現実から逃げるように眠気を呼び込んでいたようでいつの間にか寝入っていたらしく、気が付いたら朝になっていた。


 眠い目を擦りながら、それでもやっぱりヨシュアのことが気になってしまって、なんとか温かい布団を身体から引き剥がす。朝の布団の誘惑というのはそれはもう抗いがたいものなのだけれど、そんなもの俺にとってはヨシュアと比べてしまえばなんてことのない、ちっぽけなことだ。
 そうして丸めた掛け布団をベッドの上に放り投げてから、硬い床の上で寝たせいで痛む身体とふらつく足を叱咤しながらも、恐る恐る審判の部屋へと足を踏み出したのはなんとなく覚えている。
 けれど、朝からいつもどおりに仕事を始めていたらしいヨシュアの様子は一向に昨日と変わった気配がなくて、勇気を振り絞った「おはよう」の挨拶にもちらりと一瞥をくれただけだった。
 どうしていいのか、何を言えばいいのかも分からないまま、結局今日も一日ただ床に座り込んでブランケットに包まりながら、ヨシュアの横顔を眺めていることしかできない。時折玉座から立ち上がって書斎の方へと出向いたり、死せる神の部屋まで足を運びながらも、戻ってきて再び玉座に腰を下ろすヨシュアはまるで俺の存在など意に介していないようだ。
 ふと、書類を捲るヨシュアの手を見て確かな違和感を感じたのだけれど、ぼんやりした今の頭ではそれが何なのかはわからない。
 いつもなら仕事中でも、横に座り込んだ俺の頭を優しい大きな手のひらが手慰みに撫でてくれたり、ぽつぽつと作業に支障の出ない範囲で話をしてくれたりしていたから時間が経つのはあっという間だった。
 なのに、まるで俺なんてこの場にいないかのように振舞うヨシュアと、そのスミレ色の視界に入れられないまま過ごす時間というのは途方もなく長くて、何度もじわりと涙がこみ上げては、それでもこぼれ落ちることのないまま乾いていく。ただ、包まったブランケットはいつもの通り温かくて、馴染んだその匂いだけが優しかった。
 それからどれくらい経ったのか、ヨシュアが手にしていた書類を仕舞って仕事を切り上げたのは、いつもよりも少し早い時間だった。たぶん、昨日少しばかり余分に仕事を延長していたせいだろう。
 晴れて自由時間となったヨシュアの言葉を期待して、心持ち背筋がぴんと伸びる。けれど、いつまで待ってもこちらを安心させてくれる穏やかな声が頭上から降ってくることはなくて、恐る恐る隣にいるはずのヨシュアの顔を見上げた。
 俺が求めて止まない人物は確かに変わらず馴染んだ玉座に腰掛けていたけれど、肘掛に凭れかかって頬杖を突いているその表情は長い前髪に隠れてしまって、窺い知ることはできなかった。既に目を閉じて、眠ってしまっているようにも見える。
 戸惑う気持ちを隠せずにもぞもぞと身じろぎすると、聡いヨシュアには気配だけで伝わったのか、ぽつりと「部屋に戻らないの?」のそっけない一言だけを億劫そうな声音でくれた。意訳すれば、「早くこの部屋から出て行け」である。
 命令を含んだ冷たいその言葉に泣き出してしまいたい気持ちをぐっと堪えて、身体に馴染んだブランケットを握り締めたまま、よろよろと自分でもおぼつかない足取りを自覚しながら審判の部屋を後にした。


 どうしてこんなことになってしまったのか。
 先ほどから俺の頭の中ではその疑問だけがぐるぐると堂々巡りをするばかりで、何の解決策も考えられない。
 ベッド脇に座り込みながら、ブランケット越しに伝わる硬い床の感触が身体を芯から冷やしていくような錯覚を覚えた。
 原因はどう考えても昨日の会話なのだけれど、ならば俺はどう答えればよかったのか。ヨシュアと俺とは飼い主とペット、それはヨシュアも俺も共通した認識であると思っていたのだけれど、いつから違ってしまったんだろうか。
 ヨシュアはどんな気持ちであの質問を口にしたのだろう。いつでもヨシュアの望みに副える自分でありたいのに、ヨシュアが俺に何を求めているのかがわからなかった。
 そこまで薄手のものではないはずなのに身体に巻きつけたブランケットだけではまだ寒くて、仕方なくベッドの上に丸めてあった掛け布団も引っかぶる。けれど、それでもまだ自覚できるくらいには、身体が温かさに飢えていた。
 それもそうだ、だって本当なら今の時間はヨシュアの長い腕に包まれて、温かい胸に頬を寄せているはずなのだから。
 そういえば昨日は性行為に及ぶこともなかったから、お風呂にも入っていない。特別汚れることをしなければ今の身体では入浴も必要不可欠ではないとはいえ、いつも当たり前にヨシュアと過ごしているはずの時間がないことがただ悲しかった。
 毎日触れているヨシュアの感触も、匂いも、抱き締めてくれる腕の温かさも、くちびるの柔らかさも、目を閉じるだけですぐに思い出すことができる。扉一枚隔てたすぐ向こうにいるはずの人が恋しくて、何度も頭の中で反芻しているうちに自分の意思とは関係なく、勝手に身体が熱くなってきてしまった。
 だって昨日から丸一日、キスどころか抱き締めてもらってさえいないのだ。遠く離れているわけでもなく、望めば叶うほどすぐ傍にいるのに。毎日のように慣らされた身体はもうヨシュアなしではいられなくて、悲しくて苦しい気持ちでいっぱいの胸の内など知ったことかと言わんばかりに、身体は火照りを増すばかりだった。
「ふ、うぅ……ヨシュ、ア」
 下着の中が窮屈になり始めた股間におずおずと手を潜り込ませてから、既に形を成している屹立を握ってゆっくりと扱く。ぬるぬると先走りが十分に漏れ出したところで、いつも裏筋をくすぐりながらしつこく先端をくじるヨシュアの手つきを真似してみると、強い快感に思わず腰が跳ねた。
「う、ぁ、あぅ……だ、めぇ……よしゅあ……!」
 誰にするでもなくただ反射で首を振りながらぐちぐちと性器を弄っていても、心の中はヨシュアの言葉がぐるぐると回るばかりで、少しもまぎれることのないそれに頭がパンクしてしまいそうだ。
 ヨシュアは俺のことが嫌いになったのだろうか。俺のことなんて飽きて、もういらなくなったのだろうか。いや、そもそもヨシュアは俺のことを好きでいてくれたのかどうか。だって、俺はただのペットで、ヨシュアのオモチャなのに。
「ぅ、く……っしゅあ……あぅ……っ」
 過ぎる快感が辛いほどになっても、何度も割れ目を抉るゆびを止めることができない。心の隙間を埋めたいかのように、身体は強い快感を求め始めていた。
 でも、でもだって、ヨシュアは今までに何度も俺のこと好きだって言ってくれたし、結婚式だってちゃんと。
 結婚式?
 ふとよぎった単語に、今日ヨシュアを見て感じた違和感の正体に気づいてしまった。優雅な仕草で書類に添えられた、ヨシュアの左手。
 ヨシュア、今日指輪してなかった?
「ひ、あぁっ……!」
 ぬるりと滑った爪で思わず敏感な場所を引っ掻いてしまい、がく、がく、と腰が跳ねて咄嗟に手を離す。もどかしさにぴくぴくと揺れる屹立が疼いて切なかったけれど、それよりも気づいてしまった事実に俺の頭の中は真っ白だった。
 あの指輪はお互いに神聖な気持ちで交換したもので、だからお風呂のときでも寝るときでも外すだなんて考えたこともない。それはヨシュアも同じだったはずで、いつでも優雅な白いゆびに色を添えている金の指輪を見ただけで、ドキドキと胸が高鳴った。
 なのに、今日のヨシュアには、それがない。
「ふ、ぇ……」
 それがどういうことかなんて考えたくもなくて、視界に入った自分のゆびに嵌められている金色に、停止した思考の代わりにじわりと熱いものが込み上げて、ぼろぼろとまぶたからこぼれ落ちていった。
「……しゅ、あ……よしゅあ、よしゅ、ぅ、あぁ……!」
 情けなく漏れる嗚咽を抑えることができないまま、げほげほと思わず咳き込んだ。ひ、ひ、としゃくり上げる喉が何度もひくついて、自分の身体だというのにちっとも言うことを聞いてくれない。
 ブランケットに埋もれたまま床にうずくまっていると、キィ、とよく聞きなれた音がすぐ近くから聞こえて、恐る恐る顔を上げた。視線の先には、開かれた扉と、怪訝そうにこちらを見やるヨシュアの悠然とした立ち姿。
「よ……しゅ、あ」
「……君があんまり僕のこと呼ぶから、落ち着いて眠れやしないよ」
「ふ、あ……ごめ、なさっ」
 咄嗟に謝罪を口にした俺の言葉を遮るかのようにつかつかとヨシュアはすぐ傍まで歩み寄ると、その場にかがみ込んでまるで『いつもみたいに』しとどに濡れた俺の頬をそっと撫でる。けれど、ちらりと目をやった左手にはやっぱり指輪はなくて、わかっていたことなのにその瞬間ずきん、と強く胸が痛んだ。
「なんで床でしてるの?」
「え、う」
「こんなに身体冷やして……また風邪でも引くつもり?」
「あっ……ごめん、なさ……い」
 つい反射的に謝罪してしまったものの、どうしてヨシュアがそんなことを言うのかわからない。俺のことなんてもういらないはずなのに、まるで心配でも……しているみたいな。
「だ、って……ヨシュア、いない、のに……」
「うん」
「俺だけ、ベッドで寝たりなんか……」
「できない?」
 ヨシュアの言葉にこくりとうなずきながら、ふとすると慈しむように優しく頬を撫でられる感触が苦しくて、やんわりとその手を押しのけた。
「さわる、な……」
「何?」
「ふ、ぅ……さわるな、ってば……! お、俺のこと、もう……い、いらないんだろっ」
 尚もこちらに伸ばされる大きな手のひらを強く振り払うと、同時に激しい痛みが胸に走って、心臓が軋んでいるかのような悲鳴を上げた。
「なに、言ってるの?」
 まるで俺の言葉が理解できていないみたいに、呆れたように落とされるため息にがたがたと身体が震える。
「お、俺のこと、嫌いになったんなら……すぐにでも、け、消せばいい、のに……! ヨシュア、には、簡単なことなんだからっ……」
「何、馬鹿なこと」
「だって! よ、ヨシュアが……いらない、ならっ……俺、いても、しょうがな……」
 自分でもわけのわからないままにまくし立てると、最後まで言い終わる前に強くヨシュアの手に肩を掴まれて、だん、とびっくりするような音がするくらい乱暴にベッドの脚に押さえつけられた。
 背中に走った痛みと、尚もぎりぎりと腕に食い込むヨシュアの指先の強さに呆然と目の前の端正な顔立ちを見上げる。
「簡単?」
「っ、う……」
「僕が、ネク君を消すのが、簡単なこと?」
「よ、しゅ……あ……ぃ、いた、い」
「本当にそう思ってるの?」
 痛みにじわりとにじむ視界で捉えたヨシュアのスミレ色は怒りを湛えたまま、みたこともないような色で強く煌いていて、不謹慎ながらそのあまりの美しさに息を飲んだ。けれど、すぐにその鋭い光は悲しみに彩られて深く沈んで行く。その様を見てまた俺の胸はひどく痛んだのだけれど、どうしてそんな顔をするのかヨシュアの意図がわからずにがむしゃらに口を開いた。
「だって、ヨシュア、もう俺とえっちしないって……言って、い、一緒に寝てくれない、しっ」
「うん」
「話しかけても、全然返事してくれないしっ」
「うん……」
「ふ……もう、ゅ、ゆびわ、してない、っから……」
「っ……」
 俺の最後の言葉にヨシュアははっと驚いたように目を見開いてから、俺の肩を掴んでいた手を離すと、ばつが悪そうな表情でさりげなく左手の薬指をさするように右手のひらで覆い隠した。
「これ、は……つい、頭に血が上って」
「……?」
「かっとなって、外しちゃったっていうか」
 らしくない表情で視線をうろつかせるヨシュアはまるでヨシュアじゃないみたいで、どう反応していいのかわからずにただぼうっとその様子を窺うことしかできない。
「昨日、さ……ネク君に」
「う、うん」
「僕のこと、飼い主だって……思ってるって言われて、すごくショックだったんだ」
 続けられた言葉はますますもって俺の頭では理解できかねる内容で、きっとそのときの俺は馬鹿みたいにぽかんとした顔でヨシュアの顔を見つめていたことだろう。
「どう、して……?」
 思わず口にしてしまった疑問は、自分でもどんな答えを求めていたのかわからない。ただ、それしか言葉が出てこなかったのだ。
「そんなの、僕にもわかんないよ」
 あまりにもあっさりとした返答に、ますます俺の頭は混乱の一途を辿るばかりである。でもそれはヨシュアもどうしていいかわからないからなんだって、戸惑った様子で揺れているスミレ色を見ればすぐに分かることだった。
「でも」
 いつも淀みなくすらすらと流暢に言葉を紡ぎだす彼らしからぬそぶりで、珍しくヨシュアが口ごもっている。それでも、言葉を選んでいる……というよりは探しているといった体で、たどたどしく紡がれるヨシュアの声をじっと待った。
「僕も、少し前まではネク君のこと可愛いペットだとか、大事なオモチャみたいに思ってたはずなんだ」
「う、ん」
「なのに」
 困ったように顔を伏せるヨシュアはいつもどおりの大人姿のはずなのに、どこか幼い子どものようにも感じられるのはどうしてだろう。
「……なのに?」
「……いつからか、わからないけど……気がついたら、ネク君のこと……ペットだとか、オモチャだとか、そういう風に思うのは嫌だなって、感じるようになって」
 その言葉に、思わず目を見開いた。ヨシュアが俺のことをそんな風に言ってくれるだなんて、そこまで考えてくれていただなんて信じられなくて、思わず背筋を正す。
「だから、ネク君にも僕のこと飼い主だとか、持ち主だとか思って欲しくない」
「よしゅ、あ」
「それだけじゃ嫌なんだ」
 気がつくと、ふと手に感じた温かい感触に、自身の右手でかばうように覆い隠していたヨシュアの左手が、おずおずとためらいがちな仕草で俺の手を握っていた。
「でも、それなら、ネク君のこと……どんな風に思えばいいのか、僕にはわからなくて」
 途切れ途切れに、ぽつりぽつりと落とされる聞き慣れないヨシュアの声音は、恐らくそのとき一番世界で優しい音色だったのではないかと俺は思う。
「……だか、ら、あのとき……俺に……?」
「うん。もしかしたら、ネク君ならわかるんじゃないかなって思って」
 ヨシュアの優しい瞳の色に見つめられながら、ゆるゆるとゆびを絡めるように手を繋がれて、俺はなぜだかその場で大声を上げて泣き出したい気分になっていた。
「俺……まだ、必要? いらなく、なってない、のか……?」
「そんなの、当たり前じゃない」
 ネク君のこといらなくなるだなんて、渋谷が崩壊したってありえないよ。ため息混じりに落とされた言葉に、じんわりと熱くなるまぶたを堪えることができない。
「ヨシュア、俺のこと、まだ、好き?」
「うん」
「好き?」
 優しくうなずいてくれるヨシュアの吐息だけじゃ満足できなくて、出すぎたことをしているのを自覚しながらも問い返さずにいられなかった。
「好きだよ」
 穏やかな声音でそっと答えてくれたくちびるにそのまま、ちゅ、とやわらかく口づけられて、先ほどとは違う痛みがぎゅうっと俺の胸を締め付ける。
「ネク君、好き」
「ん、っ……」
「だいすき」
 最初の口づけからくちびるを離さないまま、ついばむように何度もキスを落とされて、一日ぶりのヨシュアのくちびるの感触にいっぱいになった胸が破裂してしまいそうだった。反射的にぴく、ぴく、と身体を震わせる俺の肩を、空いている方のヨシュアの手が優しく掴んで押さえてくれる。
「こういうことする関係のこと、人間のあいだではなんて言うの?」
「ん、く……え……とっ」
 こういうこと、というのは、もちろん今ヨシュアと俺がしている、キスをしたり、ということだろうか。
 それ、なら。
「こ、こいびと……かな」
「恋……」
 まるで初めて聞いた言葉のように不思議そうに首をかしげながら、こいびと、こいびと、と何度かヨシュアはその意味を噛み砕いている様子で口にして、それからふんわりとこちらが見惚れてしまうような表情で優しく笑った。
「うん、恋人がいいな」
「へっ」
「僕とネク君。恋人同士がいいな」
 無垢な瞳でじっとこちらを見つめるヨシュアのスミレ色に、あたふたと意味もなくうろたえてしまう。
「へ、は、う」
「ネク君は、僕が恋人じゃ嫌?」
「そ、そ、そんなこと、ない、っけど!」
「じゃあ、僕の恋人でいい?」
「う、うんっ……」
 繰り返される質問にこくこくと必死にうなずくと、それはもう嬉しそうに、こちらが赤面してしまうくらい綺麗にヨシュアは笑ってくれた。
 それから俺の肩を押さえていた手をそっと離すと、ヨシュアは自身の背広のポケットを探り始める。
「勝手に外しちゃってごめんね」
 探し物はあっさりと見つかったらしく、ポケットから再び顔を出した滑らかな指先につままれていたのは、俺の左手薬指にはまっているものと同じ金色の指輪だった。
 それをすとんと俺の手のひらに落とすと、ヨシュアは俺の手に絡めていたゆびを解いて、その左手をすっと如才ない仕草で俺の前に差し出す。
「もう、自分で外したりしないから」
 困ったように笑うヨシュアのぶどう色の瞳を見つめていたら、なぜだか、その手をこのまま放っておいてはいつしか震え出してしまいそうな気がして、情緒の欠片もなく咄嗟に伸ばした手できゅっと掴んだ。
「僕のこと、ネク君の恋人にしてください」
 そんなことを口にして、微笑みながら首をかしげるヨシュアの仕草に、どうしてかはわからないけれどずきずきと胸が痛む。いっぱいになった胸から気持ちが溢れ出して、俺の身体はとっくに壊れてしまったのかもしれない。
「は、い……」
 だから、ヨシュアのその言葉に何の気の利いたことも言えないまま、ただばかみたいに返事をして、震える指先でそうっとヨシュアの薬指に金の指輪をはめ込んだ。



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