がちゃ、と部屋に響いた、待ち望んでいたその音に、思わずぴんと背筋が伸びる。
「あー、疲れたっ」
 耳に心地良いその声を惜しげもなくため息と共に吐き出しながら、部屋に入るなりヨシュアは脱いだ背広を椅子に放り投げた。胸元のネクタイを緩めながら、ベッドの上で座り込んでいる俺の隣に倒れこむ。
「おかえりなさい」
「ん、ただいま」
 ずるずるとシーツの上を膝立ちで移動してヨシュアの顔を覗き込むと、疲れを滲ませたスミレ色が優しく微笑んでくれた。
 ついさっきまで、久しぶりのゲームが開催されていて、その間ヨシュアに会うことはずっとお預けだったのだ。ゲーム中は街中に出ることはできないけれど、この部屋から審判の間まで行き来することはできる。食事の心配もないし、ちゃんとトイレも行ける。
 けど、ゲームの間ずっと一人で街に出ているヨシュアに会うことはできなくて、生きのこった参加者に審判が下される間は寝室からも出られなくなってしまうから、こうしてヨシュアの声を聞くのも、姿を見るのも久しぶりだった。
「お疲れさま。なんか……いつもより疲れてないか?」
 仕事の後に疲れているのなんて当たり前かもしれないけれど、いつもよりも疲労の色が濃く見える表情に、思わず手を伸ばす。額にかかる細い髪をそっと払うと、ヨシュアはふっと弱く息を吐き出した。
 子ども姿のときはもっとゆったりと服を着ていたくせに、ヨシュアはスーツになるとネクタイも綺麗に締めて、仕事中は着崩したりしない。一度もっと楽に着ればいいのに、と言ったこともあるのだけれど、ヨシュアいわくスーツは着崩せば着崩した分だけ不恰好になるから嫌なのだそうだ。
 流行の発信地でもある渋谷のコンポーザーとしては、服装にもそれなりにプライドがあるのかもしれない。
「うん……んー、でも大丈夫だよ。好きでやってることだし。けど」
「けど?」
「ふふ、寄る年波には勝てないっていうか」
 冗談めかして言われた言葉に、何を言っているのやらと思わず苦笑すると、今度はヨシュアもいつものように子どもっぽい無邪気な顔で笑ってくれた。元天使に、年波も何もないだろうに。
「ネク君、ちょっとおいで」
 白くて綺麗な手に手招きされて、言われるままに身を寄せる。そうすると、手招きする手に腕を掴まれて、引っ張られるままにヨシュアの上に倒れこんだ。そのまま背中に回る腕でぎゅっと抱き締められると、ヨシュアの胸に顔を埋めるいつもの感触にほっとため息が出そうになる。
 柔らかな匂いを胸いっぱいに吸い込みながらしがみつこうとすると、その前にすげなくヨシュアは腕を解いてしまった。
「? ヨシュ、ア?」
「うーん、ちょっと違うかな」
 肩を押されて、上体を起こすヨシュアの行動に不安になりながら思わず顔を見上げる。すると、次の瞬間にはもうくるりと身体を反転させられていて、脇の下に通された腕で強く抱き締められた。背中に感じるヨシュアの胸の温かさに、どくりと鼓動が高鳴る。
 ぽす、とヨシュアの顔が俺の肩に埋められたのが分かって、衣服越しに感じる呼吸の熱に背筋がぴくん、と震えた。
「あ、ちょっと近いかも」
「よ、ヨシュア……っ?」
 そのまま喋られると、ヨシュアの声と吐息があまりにも近すぎて、なんというか……とても困る。ひく、と揺れそうになる身体を必死で堪えているのに、大きな手のひらが落ち着く場所を求めてするすると胸から腹を行き来するものだから、とてもじゃないけどたまらない。
「ん、く……」
 肩口からそのまま首筋に滑るヨシュアのくちびるが、耳の後ろをそっと撫でる。微かに漏れる吐息の感触に耐え切れなくて、ゆるゆると頭を振った。柔らかく指先で胸元を撫でられて、は、と無意識のうちに勝手に息がこぼれる。
「ふ……ぅ、や」
「ああ、でもやっぱりこれも違う気がする」
 その一言を皮切りに、それまでの優しい手のひらが嘘のようにまたしてもヨシュアの身体は簡単に離れてしまった。突然放り出されてしまったような感覚に、温かかった背中がすうっと冷える。
「へ、うっ?」
 けれど振り返って見たヨシュアの表情は怒っている風でもなくて、ただきょとんとした表情で何かを探すように俺のことを眺めていた。
「そしたらやっぱりこうかな」
 くる、と再び身体を半回転させられて、ヨシュアと向き合う形で座り込む。くるくると回転させられているうちに、目が回ってしまいそうだ。行動の意図が分からずにぐるぐると混乱する頭で、ただヨシュアの整った顔を見つめることしかできない。
「え、わっ」
 唐突に、何かを思いついたかのようにヨシュアはその場に身を横たえると、ぐい、と俺の身体を抱き寄せるようにして腹に顔を埋めた。背中に回した腕で、これでもかといわんばかりにぎゅうぎゅう抱きつくヨシュアは、まるでヨシュアじゃないみたいだ。
「あ、うん、これだ」
 一人納得したようにぽつりと呟くと、ヨシュアはそのまま何も言わずに俺の腹に頭を預ける。時折その頬をすり寄せるように頭を揺らして、ふわふわの髪の束がぐしゃりと潰れてしまうのにもお構いなしだ。
 その様子は無邪気に母親に甘える幼子か、主人にじゃれつく飼い犬のようで、普段のヨシュアの姿からは余りにかけ離れている。ああ、ヨシュアのことを犬みたいだなんて思ってしまうなんて、俺は一体何様のつもりなんだ。あつかましい。
 けれど、オトナの姿で子どものように振舞うヨシュアは、なんというか、とても。
「ネク君。頭、撫でて」
 こんな風に、ヨシュアに甘えるような声音で強請られて、断れるヤツがいたらぜひお目にかかりたい。
「う、ん」
 言われるままに、つむじのよく見えるヨシュアの丸い頭に恐る恐る手を乗せる。慣れない行為に少し手が震えてしまったのだけれど、きっと顔を埋めているヨシュアには気づかれずに済んだだろう。
 見た目に違わず指通りも滑らかな生成り色の髪をそっと梳いて、ぐしゃぐしゃになってしまった髪束を整える。それからまたその細い髪に指を絡めて、と繰り返すと、普段ヨシュアが俺にしてくれているような手つきを真似ていることに気がついて、なんだかやけに恥ずかしかった。
 梳いても梳いてもくるりと緩く巻きを作る髪の毛はずっと触っていても飽きることがなくて、柔らかくて優しい感触はどこかヨシュアの声に似ているな、となんとなく思う。
「あー……うん、すごい……きもちいい」
 吐息交じりの掠れ声は直接俺の腹に響いて、そんなヨシュアがあまりにも愛しくて、我慢しきれずに腕を回すとぎゅうっとその頭を掻き抱いた。
 抱え込んだヨシュアの髪の毛はまたくしゃりとばらけてしまって、でも俺はもうそんなことを気にしてなんていられない。
「ヨシュア」
「んん? どうしたの?」
 不思議そうに首をかしげるヨシュアの髪の毛が鼻先をくすぐって、それだけでたまらない気持ちになる。
「俺、他に何かできること……あるか?」
 ヨシュアの望むことならどんなことでもしてあげたい気持ちになって、欲を言うならばそれができるのは俺だけならいいな、とこっそり思った。
「うーん……? じゃあ」
「うん」
「名前、もっといっぱい呼んで」
 言われたヨシュアの言葉に、なぜだか少し悲しい気持ちになる。
「……」
「どうしたの? 呼んでくれないの?」
 不満そうなヨシュアの声に、すぐにでもその望みを叶えてあげたいと思っていたはずなのに、その通りにできない自分が情けなくて、ぎゅうっと胸が苦しくなった。
「そ、じゃなくて」
「じゃなくて?」
「俺が、ヨシュアにできるのって……それだけなのかなって」
 ほんの少しヨシュアの抱き枕になって、頭を撫でて、名前を呼ぶだけ。それだけじゃ、ヨシュアが俺にくれるたくさんのあらゆる気持ちに釣り合っていない気がして、心が沈む。
「……ネク君って」
 呆れたようなため息と共に吐き出された言葉に、びく、と肩が跳ねた。
 けど。
「本当に、馬鹿だなぁ」
「……!」
「頭いいのに、そういうところ馬鹿だよね」
 ふふ、と笑う声に、どう反応していいのか分からずに戸惑う。
「それだけしかできないんじゃなくて、ネク君はそれだけで僕を満足させられるんだ、って考えた方がいいよ?」
 抱え込んだヨシュアの頭がゆっくりとこちらを覗き込むように持ち上げられて、鮮やかなスミレ色が間近に迫った。そんな風に見つめられると俺はゆび一本たりとも動かせなくなってしまって、ただヨシュアの望みを叶えるためだけの生き物になるしかない。
「ヨシュア」
「うん」
「ヨシュア」
「そう」
「よしゅあ」
「うん、もっと呼んで」
 馬鹿みたいに何度も何度もヨシュアの名前だけを繰り返す俺に、ヨシュアはそのたびにぽんぽん、と優しく背中を撫でてくれた。名前を呼ぶたびにそのスミレ色がふんわりとほころんで、ヨシュアがそんな風に笑ってくれるなら、俺が今ここにいる意味はただそれだけのためなんだって思う。
「あ、キスしたくなってきちゃった」
 悪戯めいた表情で落とされた突然のヨシュアの言葉に、思わずどきりとした。俺も、全く同じことを考えていたからだ。
「ねくくん」
「う、うん……」
「キスして」
 誘うように寄せられるくちびるに、返事ができるような余裕はとてもなくて、ぎゅっと目を瞑りながらゆっくりと口づけた。やわらかな感触に身体がびくついて、一度触れただけですぐに離してしまう。
「目、閉じないで。ちゃんと見てて」
「……は、い……」
 命じられるままに、閉じたがるまぶたを叱咤しながらもう一回。何度かついばむように触れ合わせて、薄く開いたくちびるからそろそろと舌を割り込ませると、ちゅ、と濡れた音を立てながら絡めとられた。近すぎる距離にぼやけてヨシュアのスミレ色は見えないけれど、見られていると感じるだけで身体が熱くなる。
「ん、は……ぅ……っふ、く……」
 くちゅ、くちゅ、と絡まる舌に翻弄されていると、腰に回ったヨシュアの手がすっと背筋を撫で上げた。
「ぁ、ん……! っう、ゃ」
 反射的に身体が跳ねて思わずくちびるを離すと、中途半端なところでやめたせいで飲み込みきれなかった唾液がとろりとこぼれた。
「ああ、勃たせちゃダメだよ」
 濡れたくちびるに直接囁かれて、きゅう、と喉がひくつく。腰を捕まえていたヨシュアの手がするすると下腹部をなぞって、ぐ、と服の中で縮こまるものを優しく押し上げた。
「ここ」
「んっ、んん……!」
「僕、今すごく、眠くなってきてる、から」
 くに、くに、と指先で摘まれて、荒くなりそうな呼吸を必死に堪える。
「ひ、んっ……さわ、っゃ……あぅ……」
「わかった?」
「ぅ、ん……わ、わかった、からっ」
 もう既に反応していないのがおかしいほどのそこを、悪戯に弄るのを早くやめて欲しくて、こくこくと必死にうなずいた。なのにヨシュアのゆびは不満そうに、ぐっと先端に爪を食い込ませる。
「ひっ」
「わかりました、でしょ?」
「っは、はぃ……! わか、わかりまし、た……っ」
 ともすれば嗚咽にすら聞こえそうな声で必死に答えると、ようやく下肢を弄っていたヨシュアの手が離れた。その代わりのように、再びヨシュアのやわらかいくちびるが俺の口を塞ぐ。
「ん、く……ん……んくぅ」
 そのまま身を起こしたヨシュアに肩を掴まれて、柔らかなシーツの上に押し倒される。ちゅく、とわざとらしく音を立てて存分に俺の口内を蹂躙してから、満足したようにヨシュアのくちびるはゆっくりと離れた。
「僕はこのまま寝たいんだけど……ソウル、結構減っちゃった?」
「ん……すこ、し……だけ」
 ゲームの間ヨシュアと触れ合えなかった分、少し消費してしまったけれど、今すぐ消滅してしまいそうなほどではない。ヨシュアから貰った補助用のソウルも、ピアスとしてちゃんと左耳にはまっている。
「そう。起きたら、いっぱいあげるから」
 言いながら、ヨシュアの瞳はとろんとしていて、まぶたは今にも落ちてしまいそうだ。はふ、と息を荒げる俺を宥めるように、長い腕がぎゅっと抱き寄せてくれる。
「ふふ、これで、ちゃんと次も……お仕事頑張れそうだ、ね」
 ヨシュアがそう言ってくれるなら、また次のゲームが始まっても、俺はヨシュアの仕事が終わるまでちゃんといい子で待っていられるだろう。
「おや、すみなさい……ヨシュア」
「うん……おやすみ」
 俺の上に覆いかぶさるように寝そべったまま、ヨシュアは俺の胸に頭を乗せて目を閉じた。程なくしてその吐息が規則正しいものに変わっていくのを、愛しい気持ちで耳を澄ませる。
 ふと、掛け布団はどこにやっただろうかとベッドの上を見回すと、隅っこの方に丸くたぐまっていた。ヨシュアが上に乗っていて動けないけれど、このままでヨシュアに寒い思いをさせてしまうのも嫌だ。
 どうしようかとしばらく考えたものの、仕方なく丸まった布団に向かって意識を集中させる。前に伸ばした手で引き寄せるようにぐっと空気を握ると、ふわりと微かに浮いた布団がずるずるとこちらに引っ張られて、ヨシュアの腰の辺りで落ちた。
 こういうときにサイキックが使えるというのは、便利といえば便利かもしれない。今の俺はヨシュアのソウルを借り受けているかたちになるから、バッジも必要ないのだ。自分ではソウルの補給ができないから、あまり闇雲に使うわけにはいかないのだけれど。
 中途半端な位置に落ちた布団を、ちゃんとヨシュアの肩までかかるように整える。それから少し迷って、寝息を立てるたびに微かに揺れるヨシュアの頭を、そろそろと抱き締めた。
 瞬きの度にばさばさと音がしそうな長い睫毛が今は伏せられていて、あどけない寝顔は正しく天使の寝顔だ。こんなに密着していると、また勝手に身体が反応してしまいそうなのが少しだけ心配なのだけれど。
 起きたらいっぱいしてくれるって言ってたし、今はもう少しだけ我慢しよう。
「おやすみなさい」
 ふわふわとゆびに絡まるやわらかい髪の毛の感触を噛み締めながら、ゆっくりとまぶたを下ろした。




いつでもラブラブ。 20090528

→もどる