※性描写を含みます。ご注意ください。




 気が付くと、私のソウルはもうあのバッジに縛られてはいなかった。かといって霧散することもなく、ただこの場にある。
 あの方の許しを得てこの場に存在しているのだと、そういうことらしい。顕現という形ではなく今ここにちゃんと実体があるという実感が、今更ながら湧いてきた。
 しかしながら、ということは自分はもうバッジの住人ではなくなってしまったということだ。そして、あの方はなぜか私を連れ帰ってはくれなかった。あの方の言っていたことが、まだよく飲み込めていないのだが。
 とりあえず明日は以前のように出勤すればいいらしい。が、『通い』? コンポーザーは、このまま私はこの男の元で生活しろと、仰ったのだろうか。
 思わず彼の様子を伺うように視線を上げると、ちょうど彼もこちらを見ていたらしく目が合った。
 どうしたものやら分からず、彼と見つめ合うことになる。
 自分はもうバッジに縛られてはいない。逆に言えば、彼の邪魔にならないようにバッジに身を収めることはもうできないということだ。
 寝室のベッドが狭いからと、就寝時はいつもバッジの中で過ごしていたけれど(彼は知らないようだが、あの空間はなかなか快適だった)この部屋にはソファもあるし、まあ寝られないこともない。
 いやいやそういうことではなくて。常にこの場に存在しているということは、彼の生活空間に完全に入り込むということだ。都合の悪い時はバッジの中に、というのはもうできないのだから。
「参ったな」
 やれやれ、と溜め息と共に呟かれた言葉に、思わず身が強張る。
 以前は彼の都合に合わせることのできる状態だったからこの部屋に置いてもらえていたが、今の自分の存在を彼はどう思うだろうか。もしかしたら。
「邪魔、だろうか」
「あ?」
 驚いた様子で目を見開く彼の、徐々に訝る表情に思わず早口になる。
「ああ、いや、その……私はもう、君にかくまってもらわなければいけない身ではないし、このままだと君の生活の邪魔になる恐れがある。それに、コンポーザーは何か誤解をしていらっしゃるかもしれないから、もう一度話しに」
「おまえは、もうここにいるのは嫌になったのか?」
 首をかしげて問われた言葉に、今度はこちらが驚く番だった。
「何を」
 あー、と言葉を捜すように声を発するのは彼の癖なのだろうか。
「俺は、別におまえのこと邪魔だと思ってねぇし、どっちかっつーとこの部屋にいてくれた方が嬉しい。けど、おまえが嫌だってんなら仕方ない、考えるぜ」
 どうする? と平然とこちらに視線を寄越す彼から、思わず逃げ出してしまいそうになった。なんだ、これは。なぜこんなに自分らしからぬ反応をしているのか。というか、この男はどうしてこんなに平然としているんだ。等等、いくつも疑問が頭をよぎったが、言葉が勝手にこぼれてしまう瞬間というのはあるらしい。まさに今だ。
「私は、先ほども……ここにいたいと」
 じっとこちらの様子を伺っている彼から逃げるように目を逸らしてしまった。なんだか、とてもではないが彼をまっすぐに見られない。
「ならいいじゃねぇか。元々、おまえをここに連れ込んだのは俺だしな」
 まあ、そう言われてしまうとその通りなのだが。
「あー、参ったっつったのは、そういう意味じゃなくてな……」
 先ほどの彼の呟きに反応して、私がこんなことを言い出したのだと察したらしい彼は、今度は視線をやった私から逃げるようにあさっての方を向いた。
「?」
 彼らしからぬ仕草に、ますます不思議に思って彼の様子を伺う。
「こーゆーこった」
 そう言うと同時に、彼の手が私の手首を掴んで強く引いた。
 油断しきっていた身体はあっさりとバランスを崩して、すぐ傍にあったソファの上に綺麗に倒れこむ。
 彼の突然の行動に驚いて事態の把握に時間を要したが、さて、これはどうしたことだろう。自分を押し倒すように上から覆いかぶさっている彼は。
 押し倒す?
「さ、な」
「な? 参るだろ」
 だろ、と当たり前のように問われても困る。飄々と自分を押し倒しているのは彼自身なのだから。これは、この状況は。
 自分とて初心な生娘ではないのだから、もちろん彼が何を言いたいかはよく分かった。分かりすぎるほど分かってしまった。
 だが、それとこの状況に冷静に対処できるかどうかは、全く別問題だ。
「おーい、メグミ?」
「……」
「ぼうっとしてると、ホントにやっちまうぞ」
 ぼうっとも何も、自分はどうしたらいいのか。彼にこんな風に求められるとは、予想もしなかった展開だ。
 嫌ならすぐにその肩を押して拒否すればいい。おどけたような口調はいつも通りで、見たところ彼は至って冷静なようだから、言葉で伝えるだけでも十分だろう。
 十分なのだろう、が。
 困った。
 ここ一週間の間も、先ほどまでにも自分は散々困っていたが、これは、先ほどまでとは違うベクトルでとてつもなく困ってしまった。
 参るのはこっちのほうではないか。何せ。
「こ……」
「ん?」
「困って、いるのは、私のほうだ」
 不思議そうに首をかしげた彼が、ごく自然な動作で掴んでいた私の手首を離した。これでは、本気なのか本気じゃないのか分からないじゃないか。
 だから、離れようとする彼の手を反対に掴み返した。
「い、嫌じゃないん、だ」
 どうしてそこで君が驚いた顔をするのか。先に仕掛けたのはそっちだろうに。
「嫌じゃない、から……困っている……」
 言ってから、急激に羞恥が勝って彼の顔を見られなくなってしまった。情けなく視線が下の方をうろうろと泳ぐ。
 何を言っているんだ私は。何か、とんでもないことを言ってしまったのではないだろうか。
「なんだ、そうか」
 気の抜けたようなとぼけた声でそう漏らすと、する、とその手で私の服を裾から捲り上げた。ごくごく当然のように行われた動作に、反応が遅れる。
「っ……」
「いいのか?」
 拒否しなかったのは私自身だが、改めてそう聞かれると真正面からは口にしづらい。
 返答に惑っていると、やっぱり彼は何でもないような顔で言うのだ。
「ダメなのか?」
 嫌ではないと、先ほども私は告げたのに。反射的に首を横に振ると、笑ったらしい彼の溜め息が漏れるのを聞いた。

 そのまま脇腹を撫で上げようとした彼の手は、気を取り直したように一度引くと、そのグレーがかった瞳にかかるサングラスを外した。それをテーブルの上に置くと、改めて私のシャツのボタンを上から順に外し始める。
 手際のよさに、既にずれて瞳を覗かせているだろう自分のサングラスは、外すタイミングを失ってしまった。
 どうしようかと思いながらも、思いのほか優しい手つきに、嫌でも鼓動がうるさくなるのを止めることはできない。女性の扱いは多少心得があるが、自分がこんな状況に置かれるなど考えたこともないのだから仕方あるまい。
 なぜ自分が下なのか、抗議したい気持ちはないでもなかったものの、今の自分に彼を積極的にどうこうできる自信はなかったので何も言わずにおいた。先に正直な気持ちを打ち明けてくれたのは彼の方なのだから。
「き……君は、同性との経験は?」
 女性とのそれは聞くまでもないだろうが、手馴れた様子になぜか気になってしまった。黙っているのが気詰まりで、何か言わなくてはと思ったのもある。
「いんや、ないな。俺ぁ綺麗なおねーちゃん専門だ」
 一応条件は五分五分、らしい。それなら、お互いに多少ぎこちなくなろうとも、それはそれでよしとしたいところだ。
 しかしながら、その綺麗な女性専門の彼がなぜ自分とどうこうなってしまっているのやら。世の中何が起こるか分からないものだ。それを言ったら私自身、自分はヘテロだと思っていたのだが。
 だが、実際に生粋の異性愛者というのは生粋の同性愛者と同数程度しかいないとも言われている。つまり、世の人々の大多数はバイセクシャルなのだとか。そう思うと、彼と私がこうなってしまったのもおかしいことではないのかもしれない。
 こんなときにUGの住人であるということは便利だ。ここならば、RGで敷かれている法律に縛られることはないのだから。これも言い訳だろうか。
 それでも彼に惹かれてしまったことに性別などが障害になるはずもないし、と段々思考の迷路に入り込みそうになっていると、肌蹴られた合わせから滑り込んだ手のひらに身体が跳ねた。
 同時に寄せられたくちびるが首筋を撫でて、かさついた感触に嫌でも目の前の男の存在を意識せざるを得ない。いや、嫌ではないのだが。断じて。
 そのまま肋骨をなぞるようにゆびを添わされたり、脇腹を撫でられたり、慣れない感触に身体が逃げそうになる。それでも這わせたくちびるで鎖骨に噛み付く彼の仕草が、どことなくその辺にいるような猫を髣髴とさせて、我ながら微笑ましい想像に少し気が楽になった。
 女性の身体のように触って楽しめるようなものではないだろうし、愛らしい声を上げることなど自分の喉ではできるはずもないが、きっとこれはそういうことではないのだと恐らく彼も同じように思っているだろう。
 そういうことではなくて、ただ、これはお互いに確かめているだけなのだ。
「っ、ぅ……」
 慣れた手つきでベルトを外され、下着の中に手を差し入れられると思わず声が漏れそうになる。
 なんとか食い締めて声を噛み殺す私に構わず、彼の手でずるずると下着ごと脱がされた。情けない格好に羞恥を感じる暇もなく、彼の手が性器を握る。
 大雑把に見せてその実丁寧な彼らしい手つきで撫でられ、扱かれているうちに段々呼吸が上がるのを抑えることが出来ない。
 勃起したそこを弄られる度に、彼の手のひらがぬるつくのが分かる。なんともいたたまれず、視線の行き場に困った。そんな自分の手を眺めながら、早苗がうーんと首をひねる。
「やっぱ使った方がいい、よなぁ」
 ごそごそと反対の手でポケットを探ると、出てきたのは液体の入った小さなボトルだった。まあ、状況から考えるにローションかその類だろう。普通、ポケットから簡単に出てくるようなものではないが。
 ないのだが、どこかとぼけた彼のキャラクターではそれも何だか許せてしまうような気がする。得な男だ。
「暴れると危なそうだから、勘弁な」
 そう言うと彼は無造作に、開栓したボトルから手のひらに液体を垂らし、私の脚の間に割りこむように膝を押した。
 どことなく彼の動作がぎこちないのは、男の脚を開くなど初めてだからだろう。無論、私も男に脚を開かれるなど初めてだが。
 お互いに探り合うような行為に、これでいいのだろうかと多少なりとも不安が募る。彼といると私は分からないことだらけで、いつも手探りになるのだ。それでも、これはお互いに確かめていることだから、まあ、私たちらしいと言えばそうなのかもしれない。
 お互いにどこまで触れていいのかを、多分私も彼も確かめている。
「ん……っ」
 するりと後孔を撫でるように彼の指が触れて、手のひらで温くなった液体の感触に腰が跳ねる。
 宥めるように彼は私の頭をぽんぽん、と叩くと、ゆっくりと指を体内に押し込んだ。何とも例えようのない違和感に、子どもにするような振る舞いをされたことへの不満もどこかに失せてしまった。
「痛くないか?」
 恐る恐る、といった様子でこちらを伺う彼を見て、不安なのは自分だけではないのだと言い聞かせる。
「大丈夫、だ」
 ローションのお陰か、覚悟していたような痛みは襲ってこなかった。それでも変な圧迫感と感じる違和感に思わず眉を顰める。
 詰めてしまいそうになる呼吸を何とか吐き出していると、ゆっくりと体内の指が動き出した。
「痛かったらちゃんと言えよ」
 そう言って探り始めた彼の指は決して乱暴には動かず、痛みを感じることはなかった。正直、自分でもその感触が痛みなのかなんなのか、あまりの違和感に分からなかったというのもあるのだけれど。
「ぅ……っく……」
 痛いとも何も訴えない自分に安心したのか、探る指が少しずつ増やされた。引き攣れるような軽い痛みは覚えたものの、すぐに違和感に紛れて分からなくなる。案外入るものだな、と自分の身体ながら変に感心してしまったのだが。
 多少の余裕が出てきたのか、余分なことまで考え始めた辺りで、唐突に身体が跳ねた。
「っ……!」
 徐々に粘膜を犯す指が奥まで入り込んだ途端、触れた箇所から全身が震えるような感覚が走る。
「メグミ?」
 私の異変に気づいたのか、不思議そうにこちらを見つめる彼から逃げ出してしまいたかった。
「な、んでも、ない……っ」
 必死に首を振って誤魔化そうとしたものの、聡い彼が相手ではそれも無駄な抵抗だったらしい。
 ぐぐ、と先ほどと同じように内部の指が粘膜を押し上げる。
「っ、あ……!」
「これか?」
「う、ぅ……ぁっ……」
 思わず逃げるように腰を引きかけたものの、早苗の手にかかってはそれも敵わなかった。最後の抵抗として顔を隠すように腕で覆ったのだが、それがまずかったらしい。
「それ、邪魔だな」
 抵抗する腕をかいくぐって、彼の指が殆どずれてしまった私のサングラスのフレームにかかる。取り上げられたそれは、そのまま彼の服の胸ポケットに収められてしまった。
 遮るものがなくなって直接向けられる彼の視線から逃げようとすると、埋められた指がまた内部で動く。
「は、ぁ……さな、やめ……!」
「なんかさっきより動かしやすくなったな」
「ぅ……あ、ゃっ……」
 探られる度に湧き上がる感覚は未知のもので、それが快感なのだと理解する暇もなかった。
「さな、さなえ……!」
 どうしていいのか分からず、縋るように目の前の男の服を掴む。すると、ずるりと抜けて行く指の感触がして、はぁはぁと耳障りな音にようやく呼吸を許された気がした。
「もういーか?」
 しばらく呆然としていると、落とされた言葉にはっと顔を上げた。彼にばかりさせるつもりではなかったのに。
「あ、君……は」
 恐る恐る彼の下肢に手を伸ばすと、そこは既に熱くなっていた。予想外のことに、思わず顔が火照る。
「あー……悪い」
 そんなことを言われても、これは私としては嬉しいものなのだが。
「いいか?」
 彼にそう言われて、自分が拒めるはずなどないのだ。返答の代わりに、彼の首に腕を伸ばして抱き寄せる。
 ベルトを外し、前を寛げて押し当てられた彼の屹立の感触に、わけも分からず暴れ出してしまいたくなった。ああ、まったく、冷静でいるなど土台無理な話なのだ。
 繋がった瞬間の記憶はなぜだか飛んでしまっていて、なんともあやふやだった。なんだか凄まじい痛みが走ったような、そうでもないような。
 それでも彼が動き出した途端湧き上がってきた感覚に背筋が震えて、いつまでもあやふやなままではいられなかったのだが。
「っ、待っ……」
 わけの分からない反応をする身体に慄いて、思わず引き止めるように彼の背中のシャツを引っ張る。
「痛いのか?」
 痛くはないのだが、そもそも痛くないのがおかしいと思うのだが。そうではなくて。
 全身が震えるような感覚に、生まれて初めて自分の身体を怖いと思った。初めてノイズ化したときですら、こんな風には感じなかったのだから。
「い、たくはない……が」
「なんだよ」
「へん、なんだ……っ」
「へぇ。そーか」
 それだけ言うと、もう私には構わないように動き出した男に、信じられない思いをする。
「さなえ……!」
 そのときだけ、なぜか彼の名前が三文字でよかったと思った。たったそれだけを口にするのが、私には精一杯だったからだ。だというのに。
「今までで一番いー顔してるけどな」
 平然と言い放った彼の顔を見て、確信した。
 この男は、とぼけて気まぐれな風を装って、物凄く意地が悪いに違いない。
 歪められた口元と、灰がかった黒い瞳で笑いながら、彼は殊更子どもにするように私に口づけた。

 猫だ。彼は名乗る名前の通り、そのまま猫だった。
 猫が鼠を追いかけるコミカルな表現はどこでも見かけるものだが、実際の猫が鼠やら虫やらを追いかけるその目的はあまり可愛らしいものではない。捕らえられた標的が暴れ、逃げようとするのを嬲って遊ぶためだ。
 彼はあの時、絶対に私を嬲っていた。猫が無邪気に標的を捕まえるようにだ。途中までは探るように触れ合っていたくせに、あの後彼にされたことと言ったらとても口には出したくない。彼はあの時点で、私にここまではしても大丈夫だと判断したらしい。
 それとも死神すら超越してしまった天使という存在はそういうものなのかと、上位次元というものまで疑いたくなる。
 動くのすら億劫になった私をいいことに、風呂場に放り込んで飼い犬にするように身を清めてから、またしても彼はベッドに私を放り込んだ。彼の寝室に足を踏み入れるのは初めてだったが、そんなことを考える気にもなれずにぐったりとそのまま眠ってしまった。
 翌朝彼が隣に寝ていたことに驚いたやら、そのときの恥ずかしさと言ったら言葉にできず、思い出すにつけのたうち回りたくなる。
 狭いベッドに無理矢理寝ていたものだから、やたらと彼とくっついている羽目になって、追い打ちのようにかけられた彼の言葉には頭を抱えた。
「案外男二人でも寝られるもんだな」
 そのときに私は固く誓いを立てたのだ。
 これ以降、絶対に私はソファで寝させてもらう、と。



メグミちゃんの調教生活スタート。 20090126

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