※性描写はありませんが、小スカ注意です。 まったく、とんだ手間を取られてしまった。 不愉快極まりない気分が収まらないまま、歩く足音が荒くなる。 ここのところ特に大きな問題もなく過ごしていて平和ボケしてしまったのか、渋谷川までの侵入者を許してしまったのだ。 言うまでもなく、僕の命を狙った不届き者の、である。 コンポーザーである以上常に自分の立場は狙われるもの、ということを忘れてはならないのは重々承知していたはずなのに。自惚れていた自分にほとほと嫌気が差す。 自分以外に向かいようがない怒りはだからこそやり場がなくて、苛々ばかりが募る。ああもう、こんな不愉快な気分にさせられるなんて、あの侵入者ももう少し痛めつけてから消滅させればよかった。 こんなときは一刻も早くネク君の顔を見て、このいがいがした気持ちを慰めてもらわなくては。 ちょこまかと逃げ回られたもののもちろん侵入者は消滅させたし、周囲に及んだ被害の始末についても手配を回した。 だがそのせいで丸一日ネク君を放り出す形になってしまい、今も彼はあの寝室で動けずにいるだろう。 侵入者が来たとき、ちょうどネク君とお茶の真っ最中だったのだ。 彼に被害が及ばぬように寝室に放り込んでから、部屋を動かないよう言いつけて扉を閉めた。あの扉は僕以外開けることはできないし、万一のために結界が張られているため一番安全なのである。 だが、それゆえに中からも外からも扉が開けられないため、ネク君はずっとあそこに閉じ込められていることになる。彼は僕から少し離れただけで不安な顔をするから、寂しい思いをしているかもしれない。 こんなときばかり煩わしいだけの無駄に長い道のりを早足で歩くと、審判の間に着いてすぐ寝室の扉に向かった。 開錠しようとドア横のパネルに手をかけると、扉の向こうから微かな声が聞こえる。 「ょ……しゅあ……」 蚊の鳴くようなあまりにか弱い響きに、すすり泣くような声音が気になって耳を澄ませた。 「ヨシュア、開けてぇ……だして……」 聞こえる声は考えるまでもなくネク君のものだ。哀願する声と共に、カタカタと控えめに揺らされる扉の振動が伝わる。 「おねが……も、こわぃ……っヨシュア……」 部屋の中で何かあったのだろうか。あまりにも切実な言葉に、さすがに焦った。はやる気持ちを抑えながら、急いで扉を開ける。 「ネク君?」 彼は扉のすぐ前にいて、床にぺたりと座り込んでいた。何かを堪えるようにぎゅっと服の裾を掴んで、泣きそうな顔をしている。 「よしゅ、あ……」 突然開いた扉に驚いたように顔を上げると、泣きそうだった顔がすぐにほっとしたように緩んだ。見たところ怪我をした様子もないし、部屋の中も変わりない。思わず僕の口からも安堵のため息が出る。 ただ、どうしてこんなところで座り込んでいるのか。 「何かあったのかい? ごめんね、ずっと一人にして……」 座り込むネク君と目線を合わせるように膝をついて、その頬に触れようと手を伸ばした。のだが。 「やっ……」 ゆびが触れた瞬間、びくりと肩を震わせたネク君の手で思いの外強く振り払われた。 「ぁ……ご、ごめ……なさ」 彼は彼で自分の行動に驚いたのか、見開いた目で呆然と僕を見上げてくる。そんな目で見られても、きっと僕も同じような顔をしていただろう。 「ごめんなさ、い……! で、でも」 「ネク君?」 「だめっ……さ、さわっちゃ」 彼の突然の拒絶に困惑して行き場のなくなった手を彷徨わせると、ネク君はまたその細い肩を揺らす。怖がられている、のだろうか。 「さわんな、で……」 ふるふると頭を揺らしながら、彼は顔を隠すようにうつむいてしまった。ただ首を振りながら触るなとうったえるだけの彼に、徐々に苛立つ気持ちが頭をもたげる。 「どうして?」 「っ……」 「さっき聞いたよね? 何かあったのかって」 詰問するような口調に怯えさせてしまったのか、ネク君はそのくちびるをぎゅっと噛み締めて口を閉ざしてしまった。ああ、まったく。子どもをあやすのはあまり得意ではないのだけれど。 「だんまりのままじゃ分からないよ?」 つい苛々してしまうのを悟られないように抑え込んで、なるべく優しい声音で覗き込む。睦言と同じように、甘く、柔らかく。 それでもまだうつむいたままの彼に、たたみかけるように囁いた。 「ネク君が困ってるなら助けてあげるから」 「……」 「僕に教えて?」 宥める言葉にひく、と頭を揺らしてから、そろそろとネク君の青い瞳が上目遣いに見上げてくる。泣きそうな青がみるみるうちにしとどに濡れると、観念したようにネク君がくちびるを震わせた。 「ト……」 「と?」 言うのにそんなに勇気がいる言葉なのか、再び途切れるネク君の言葉を急かさないように辛抱強く待つ。 それからようやく、消え入りそうな声でネク君はぽつりと呟いた。 「トイレ……」 僕が予想していた言葉のどれでもない単語が飛び出してきて、思わず首をかしげる。 「ぉ、おしっこ……もれちゃうっ……」 次いで発せられた言葉に、ようやく彼の様子を理解した。先ほどから服の裾を掴んでいるのは、どうやら股間を押さえていたらしい。 思わず部屋の中をぐるりと見回してしまった。そういえば、この部屋にはトイレと言うものが付いていない。今まで特に不便を感じたことがなかったので気がつかなかった。 あくまで僕たちにとって食べ物、飲み物は嗜好品である。別に取らなくても人間と違って死んだりしない、というかもう死んでいるのだから当たり前だ。それでも人間のころの習慣が忘れられないのか、当たり前のように食事をする死神は多い。当然、食事をすれば排泄が必要になる。 僕のように元が人間でないとそもそも排泄すら必要ないのだが(お腹に入れたものがどこに行くのかは僕も知らない)ネク君はこちらに来てから日が浅いせいもあって、食事も排泄も人間だったころとまったく同じようにしていた。 でも基本的に何も飲み食いしなければ排泄も必要ない身体なのだけれど、この部屋に入る前に何か口にしただろうか。ああ、いや思い出した。僕が自分で言ったんじゃないか。 侵入者を感知する前、僕とネク君はお茶をしていたのだ。彼はミツキ君のお茶がお気に入りだから、結構飲んでいた気がする。 「ずっと我慢してたの?」 「ぅ、うー」 ネク君がこくこくとうなずくたびに、明るい栗色の髪も一緒に揺れる様がなんとなく犬のしっぽを髣髴とさせた。 「ここでしちゃってもよかったのに」 当たり前のことを言ったつもりだったのだが、その言葉を聞いた瞬間ネク君の瞳がより一層泣きそうに歪んだ。 「そ、そんなの……できるわけない……っ」 そういうものなのだろうか。知識として知ってはいても排泄というものの概念がよく分からないのだが、やはり恥ずかしいことのようだ。 とはいえそうとなればこんなところで押し問答していてもしょうがない。 「ごめんね。じゃあ早くトイレ行こう? 立てる?」 「立てな、い……」 「そっか。なら連れて行ってあげる」 そう言って彼の身体を抱き上げようと手を伸ばしたのだが、先ほどよりはやんわりと、でもやっぱり拒絶された。 「だ、だめ」 また、だめ? ネク君さっきからそればっかり。 「動いたら、もれちゃ……」 どうやら僕が思っていた以上に事態は緊急を要していたらしい。先ほどから触るな、触るなと繰り返していたのは、些細な刺激でも我慢できないほどに切羽詰まっていたからのようだ。 こんな状態で丸一日、彼はこの扉の前で僕のことを呼んでいたのかと思うと、自分の配慮の足らなさにため息しか出てこない。 彼への申し訳なさでいっぱいになりながら、動けないとなるともう選択肢は一つしかなかった。 「漏らしてもいいよ?」 「なっ……」 「というより、ここでしちゃおうか。トイレまで我慢できないでしょ?」 震えるネク君の腕を掴むとまた抵抗されたけれど、もうそんなことに構ってもいられない。 「やだ、だめ……! 部屋、汚れるだろっ」 「部屋なんて後で掃除すればいいよ。もうここ、痛いんじゃない?」 「ひっ……」 す、と下腹部の辺りを撫でると、がくがくとネク君が身体を揺らした。 「やだ、やだぁ!」 ぱん、と乾いたなかなかいい音がして、衝撃の走った頬を軽く押さえる。どうやら平手打ちを食らったらしい。やれやれ、相当に限界らしく、かなり混乱しているようだ。これでは服を脱がせることもできない。 「やだやだ言ってもしょうがないでしょ。ほら、我慢しなくていいから」 仕方がないので彼の両手首を片手でまとめて押さえ込むと、服の上からそのまま下腹部を押した。びくん、と彼の身体が跳ねて、じわりと服に染みが広がる。少し漏らしたようだけれど、まだ我慢するつもりらしい。 「だめぇ……やだ、ぉ、押しちゃ……!」 「ネク君、僕の言うこと聞けないの?」 「ゃあぁっ……よしゅ、おねがっ……ゆるして……」 まったく、膀胱炎になっても知らないからね。あくまでも頑なな態度を崩さないネク君に嘆息しながら、追い打ちをかけるように強く腹部を撫で下ろした。 「はい、しー」 「ッ……!」 がく、と強く痙攣したあと、ずるずると脱力したようにネク君の身体が僕にもたれかかる。 「あ……あ……」 呆然とするネク君をよそにしょろろ、と水音と共に彼の服の染みが大きくなって、床に少しずつ水溜りを作った。 「ふ、うゅ……やだ、止まんないぃ……」 は、は、と息を吐き出しながら、徐々に大きくなる水溜りにネク君の目から溜まっていた涙が零れ落ちる。 「うん、我慢しないで。全部出して」 「ゃ、いや……見な、で……ひ、えぅ……」 見るなと言われてももたれかかるネク君を放り出すわけにも行かず、結局一部始終をしっかりと見守ってしまった。 すべて排泄しきったらしく部屋に響いていた水音が止まると、放心したようにネク君は動かない。冷たい床からほかほかと温度を伝えるものは彼の目にどう映っているやら。 「いっぱい出たね」 僕の言葉にびくりと揺れる頭を、あやすようにそっと撫でる。 「ひ、ぃ……っく、えっく……はふ……うぅ」 しばらくしてようやく事態を理解したのか、信じられないとでも言うように嗚咽を漏らしながら、ネク君は本格的に泣き出してしまった。 「おしっこ気持ちよかった?」 「く、ふぇ……」 「ずっと我慢してたんだもんね」 「う、ぇく……ごめ、なさ……」 ぐすぐすと涙声で謝る彼の背中を、ぽんぽんと宥めるようにゆっくり撫でる。 「どうして謝るの? 悪いのは僕でしょ」 「……って、だって……」 「大丈夫だから。そうだ、身体洗ってあげる。おフロ行こ?」 しゃくりあげるネク君の身体を抱きかかえると、彼を水溜りから掬い上げるように立ち上がった。温かい濡れた感触が僕の服を通して伝わってくる。 「ヨシュ、ア……ふく、汚れる」 消え入りそうに呟かれた言葉に、もはやため息しか出てこない。 「またそんなこと言って。どっちにしろネク君の服もクリーニング出さなきゃなんだから、同じだよ」 先ほどから彼は部屋が、やら服が、やら見当違いなことばかり言っている。それよりももっと大事なことがあると、どうして彼はわからないんだろうか。 「俺、汚い、から……自分で……」 どうやら彼は服というよりも僕の手を濡らしてしまったことが気になるらしく、僕から離れようと必死だ。 「ネク君」 呆れを通り越してそろそろ苛々してきた僕は、その感情を包み隠さずため息に乗せて吐き出した。びくりと震える身体を、離れようとする彼とは逆に強く抱き寄せる。 「そんなことより、ネク君のほうが大事でしょ?」 耳元でそう囁くと、ネク君の抵抗はぴたりと止まった。次いでおずおずと見上げてくる瞳に微笑みながら、よいしょ、と彼の身体を抱え直す。 「返事は?」 「……は、い……」 ぽつりと落とされた声に満足すると、そのまま部屋を出て浴室に向かった。 「お湯、熱くない?」 「う、うん」 ネク君を後ろから抱きかかえる体勢で座らせると、お湯で軽く彼の身体を洗い流す。 シャワーを当てられている間も、僕がスポンジでボディソープを泡立てている間も、彼はまさしく借りてきた猫のように大人しかった。 どちらにしろ僕も彼と湯浴みを済ませてしまうつもりだったのだけれど、きっと汚れた下肢が気になるであろうネク君を早くキレイにしてあげたかったから、とりあえず上着だけ脱いで浴室に入った。全裸の自分と服を着たままの僕を見比べながら、ネク君はなんとなくそわそわしているようだ。 痛くしてしまわないように、なるべく丁寧に泡立てたスポンジで彼の身体を撫でる。 「痛かったら言ってね」 「ん……大丈夫……」 下腹部や脚の間の微妙なところを触っても、ネク君は暴れたりせず大人しかった。されるがままのその様子がどことなく小さな子どものようで、なんともほほえましい。 「ネク君、うーってして」 「ん、うー……」 せっかくなので上半身も洗ってしまうことにする。いつも無骨な首輪をつけられて、敏感になっている首元は特に念入りに優しく。 「かゆいところはない?」 「うん……」 骨ばって痩せたネク君の身体は、少しでも力を入れたら折れてしまいそうで心配になる。一応人間並みに力はセーブしているつもりだけれど、いつ力加減を間違えてしまうのではないかと少し怖い。 「ヨシュアの洗いかた、きもちいい」 それでも恥ずかしそうにそう漏らすネク君が可愛くて、その頬にそっとキスをした。一通り撫で終わってお湯で泡を洗い流すと、湯船に彼をつからせる。 やれやれとすっかり濡れて泡の付いてしまった衣服を脱いでいると、顔を赤くしたネク君がぼーっとこちらを見ていた。 「なあに? 顔赤いよ?」 「へ、え、あ……な、なんでもないっ」 「のぼせた?」 「ち、ちがう……へーき」 ぷい、と顔を背けたネク君を不思議に思って首をかしげてみせても、顔の半分を湯船に埋めた彼はぶくぶくとお湯で遊びながら口を閉ざしてしまった。 お風呂上りに、僕にされるがままタオルに包まれるネク君はなかなか目に楽しい。顔を赤くして恥ずかしそうにしているくせに僕に逆らえないらしいネク君は、じっとその身を任せてくれた。 服は自分で着ると言うので任せたけれど、首輪とボタンだけは留めさせてもらう。なんか、ネク君のお世話をするのはちょっと癖になりそうだ。 そうすると、羽織っただけの僕のシャツのボタンをお返しのように留めてくれるネク君に上機嫌になりながら、適当な雑巾を手にして浴室を出た。 「ヨシュア、あの」 「うん?」 「……ありがとう」 「ふふ、どういたしまして」 ネク君の漏らしたものを掃除している間ずっとそわそわしていた彼は、僕が一仕事終えてベッドに腰掛けた途端抱きついてきた。 頑なに自分で掃除するという彼を口八丁手八丁で言いくるめて、ネク君の粗相は僕のせいだからと無理矢理ベッドに押し込んだせいだろう。 尚もベッドを降りようとする彼に「僕に自分の責任も取らせてくれないなら、舐めるよ?」と言ったところ、実に平和的に解決することができた。 一生懸命僕の首にしがみつくネク君の身体に腕を回すと、お風呂上りの彼の身体はほかほかと温かくて、洗ったばかりの自分の手の冷たさが気になる。 「あと……ごめん、なさい」 「何が?」 叱られる前の子どものような顔をしているネク君の頬にゆびを滑らせると、冷たさに驚いたのかびくっと彼の肩が跳ねた。 「さっき、ひっぱたいた、だろ」 頬に触れる僕の手をやんわりと押すと、今度はネク君の手が僕の顔をそっと撫でる。ああ、そういえばそんなこともあったっけ。 壊れ物を扱うように恐る恐る僕の頬に触れる右手を掴むと、ゆびを開かせてその手のひらにくちづけた。叩かれたのは左の頬だから、たしかこっちの手だったはずだ。 「痛かった?」 ネク君がずいぶん痛そうな顔をしているから聞いてみただけなのだけれど、途端に彼の顔が泣きそうに歪む。 「な、んでだよ……痛かったの、おまえだろ」 「うん、でもネク君も痛そうな顔してるから。痛かった?」 尚も問いかけると、ネク君はやっぱり泣きそうな顔で、ふるふると首を振りながらそっと僕の頬にキスをくれた。ちいさくもう一度「ごめん」と呟かれた言葉は聞かなかったことにしよう。 子猫が舐めるようなくすぐったい感触に、思わず笑いが漏れる。 「でも、怪我とかなくてよかった」 「うん?」 「ヨシュア、怖い顔して出てったから……もしかしたら帰ってこないんじゃないかって思って……怖くて」 言われて昨日一日、分不相応に自分の命を狙った不届き者に振り回されたことを思い出した。あんなに苛々とささくれ立っていた気持ちが、今では驚くくらい穏やかだ。 「ふふ、僕がこの渋谷で負けたりすると思うかい?」 「お、思わないけど」 「大丈夫。ネク君のこと置いてったりしないよ」 そっと彼の髪を掻きあげて額にキスをする。そうするとぎゅ、としがみついてくるネク君はせっけんの匂いがした。 「でも、少しだけ疲れたから」 いい匂いを振りまく彼の身体を抱き締めたまま、脇に追いやられて膨らんだ毛布にもぐりこむ。 本来睡眠を必要としない自分にも、こうすると眠気が訪れるのが不思議だ。ネク君の身体からはきっと何か眠くなる成分が出ているに違いない。安心する、というその感覚を彼に会ってから初めて知った。 「しばらく抱き枕になってくれる?」 さっきまで冷たかったはずの手が、今はもうネク君の体温に馴染んで暖かくなっている。 そっと囁いた言葉にこくりとうなずいて、その栗色を揺らす彼の髪を撫でながら、ゆっくりと目を閉じた。 お世話萌えの究極系だと思うわけで。 20081028 →もどる |