白い。 目を開けて真っ先に思い浮かんだ感想がそれで、次いでその白は目の前のヨシュアのシャツの色だと気がつく。 いつでも清潔感を感じさせるその色とヨシュアの匂いは俺を安心させてくれるのだけれど、今日は少しばかり趣が違った。 ベッドに入ったときはお互い抱き合うように向かい合って眠りについたはずなのだけれど、今のヨシュアは俺に背を向けて寝ている。 以前まではヨシュアのほうが背が高くて、見下ろされることが多かったからそこまで気にしたことはなかったのだけれど、最近ヨシュアの身長を追い越してから時々目に付くようになった。 ヨシュアはどちらかというと華奢で、線の細い方だ。その背中もなんとなく頼りなくて、人よりもでっぱった肩甲骨がシャツ越しに浮いて見える。その様子がどこか鳥の羽を髣髴とさせて、よく分からないけれどどうしてか胸がざわめいた。 『何言ってるの』 こいつの背中を見て、一番に思い出すのはあのときのことだ。 ヨシュアとパートナーを組んだゲームの最終日。 『ネク君は負けられないんでしょ』 そう言って俺を突き飛ばした手が優しかったことは未だ鮮明に覚えていて、かばうように立ちふさがった背中をあれほど憎んだこともない。 怖かった。あのときの恐怖は絶対に忘れない。また失くすのか、と呆然とヨシュアを見送るしかできなかった無力な自分に絶望したことも、スクランブル交差点で目覚めたときの身を焼くような後悔も絶対に忘れない。 ヨシュアに殺されたことと、ヨシュアに守られたこと。相反する二つの記憶はどちらも確かに俺のもので、これから何があろうと忘れないだろうな、と思うものだ。 向けられた背中はすぐにそのことを連想させて、見えない表情に不安になる。別に仰向けで寝ようがうつ伏せで寝ようがヨシュアの自由なのは分かっている、のだが。 目を焼く白い光が細い背中を飲み込んだ映像が頭の中で蘇って、怖くて、咄嗟に目の前の身体に抱きついた。 もう少し頭が起きていれば、疲れているはずのヨシュアを起こしてしまうかもしれない、と思い至ることができたのかもしれないけれど、反射のように動いた身体は待ってくれなかった。 うすっぺらいお腹に回した腕に力を込めて、骨ばった背中に額を押し付ける。触れたところからじわりと伝わる体温と、嗅ぎ慣れたヨシュアの匂いに少しだけ安心した。 「ん……」 ヨシュアは周りの気配に敏感だから、俺がこんな風に動けばすぐに起きてしまう。予想通り腕の中で身じろぎする身体に、やってしまったと後悔してももう遅かった。 「ネク君……?」 寝起きの掠れた色っぽい声に、無意識に鼓動が早くなる。 当たり前のようにこちらを向こうとするヨシュアを制するように、抱きついた腕でぎゅっと身体をくっつけた。さすがにここまでぴったりくっつくと動くに動けないのか、案の定困ったような声が上がる。 「どうかしたのかい?」 振り向く動作を諦めたのか、ため息をついて大人しくなったヨシュアに安心するなんて、さっきまで見えない表情に不安になっていたくせにおかしいかもしれない。でも今の俺は泣きそうな顔をしているかもしれなくて、そんな顔をこいつに見られるのは嫌だった。 「悪い、起こして」 「ううん。それはいいんだけど……」 俺が不安げな顔をしていると、ヨシュアはどうにかしてそれを取り除こうとしてくれる。大抵は俺自身にすら匂わせないような器用なやり方で、後になってから分かってまた気を遣わせてしまったとやっぱり後悔するのだ。 「また何か考え込んでたの?」 返す言葉の見つからない俺に、ヨシュアは結局何も言わなかった。ただ、その手はお腹に回っている俺の腕を何でもないように優しく撫でる。子どもをあやすような柔らかい感触に、無意識のうちに力んでいた肩の力が抜けてしまった。 そんな何気ない仕草だけで俺の不安を取り除いてしまえるのだから、やっぱりこいつにはどうしたって敵わないと思う。 「ネク君、離して」 ゆるゆると穏やかな感触にまたうつらうつらし始めると、寄越された言葉にはっと部屋のデジタル時計を探した。もうヨシュアは帰る時間だろうか。 「わ、悪い」 名残惜しく思いながら俺の都合で引き止めるわけにも行かなくて、慌てて腕をほどく。 突き放すような言葉がショックだったなんて、そんな我侭はとても言えない。ともすれば身を起こすヨシュアを引き止めるような言葉が口から出てしまいそうで、必死に堪える。 離れたくない。 まだ、あと少しだけでいいから。 けれど、そのまま布団を抜け出てベッドを降りてしまうかと思った身体は、予想を裏切ってくるりとこちらに向き直った。 「ネク君ばっかりずるいよ」 不満げにそう漏らすヨシュアの、伸ばされた腕にあっという間に抱き締められて、有無を言わせぬ態度はこの細腕のどこにそんな力があるのかと騙された気持ちになる。 「よ、ヨシュア」 「こうすれば顔見えないから、いいでしょ?」 頭を抱えられてヨシュアの胸元に額を押し付けるかたちは、ただお互いの体温と呼吸の音だけを伝えてくれた。俺のことなど何もかも見透かしているかのような言葉に、それだけでぎゅっと胸がいっぱいになる。 「でも、もう帰る時間なんじゃないのか」 抱き締めてくれるヨシュアの腕は優しくて、まだ見せられるような顔になってもいないのだけれど。こいつの予定を俺が狂わせてしまうのは嫌で、離れがたい気持ちを抑え込んでなんとか言葉にする。 「んー……そうなんだけど、ね」 珍しく歯切れの悪い言い方に、もしかしてヨシュアも離れがたいんだろうかと思ったら、勝手にくちびるが動いていた。 「じゃ、じゃあ、あと三十秒だけ」 咄嗟に口にした言葉はあまりに稚拙で、俺はどこの小学生だと自分で呆れてしまったのだが。 虚を突かれたのか、ヨシュアも呆れたのか、たっぷり十秒ほど間が空く。 ヨシュアの負担になりたくなくて今までこんな風に引き止めたことはなかったから、大それたことをしてしまったのではないかと不安になった。 そんな俺をよそに、ふ、と漏れたため息は少しだけ笑っていただろうか。 「うん」 そう言って改めて俺の身体を抱き直したヨシュアの背中に、俺も慌てて腕を回す。 軽い口調でいーち、にー、とのんびり数えるヨシュアの三十秒は俺がいつも通りに振舞う準備を整えるのに十分なほどで、きっとせかいで一番優しい三十秒だったに違いない。 ベッドを降りて、んー、と伸びをするヨシュアは、多少の休息を取ったとは言えやっぱり少し疲れて見える。UGでの仕事がきついんだろうか。 ヨシュアはそう言うことを俺には言わないから、たまに何気なく漏らされる言葉から察することしかできないのだけれど、そうでなくとも人手不足らしいことは少し考えれば分かることだ。 原因は俺だと言えばそうでもあり、ヨシュアのせいと言えばその通りでもあるのだけれど。 せめてあと一人、上の仕事を任せられる子がいると助かるんだけどね、というのは、しつこく問い詰めてやっとヨシュアが一言だけ漏らした言葉だ。 それに返せるような言葉を俺は持たなくて、何ができるわけでもないのがはがゆかった。 こちらに来るのが負担なのではないかと言ったこともあるけれど、それに関してはヨシュア自身がしたいからしているのだと強く言い含められている。そうなると、やっぱり俺には何も言えないのだ。 「ヨシュア」 呼びかける俺に、窓枠に身を乗り出したヨシュアが振り返る。 「いってらっしゃい」 いつからか、ヨシュアを見送るときはそんな言葉を口にするようになった。 ヨシュアの帰るべき場所はUGで、ここは俺の家なのだから変な話なのかもしれない。 でも、人知を超えた力でヨシュアのように身を挺して相手を守るような芸当は俺にはできないから、せめてこいつが一人でいたくないときにいつでも帰ってこられる場所になれたらいいな、と思うのはそう過ぎた我侭ではないと思いたいのだ。というか、なんと言われようと俺はそう思いこむことにした。 「いってきます」 柔らかく返る声と、未だ少しだけ面映そうな微笑は優しい。 ヨシュアは相変わらず次を約束したりしないけど、こうして返すからにはちゃんと『ただいま』を言うつもりに違いないと俺は安心して待つことができる。 そろそろ俺のささやかな計画をこいつに打ち明けてもいいかもしれないと思いながら、がちゃりと閉まる窓の音に俺はもう怯えたりしないのだ。 ヨシュア編7日目はみんなのトラウマ。 20081019 →もどる |