「あんまりにも上が退屈でね。自分で取っちゃった」 言われた言葉は衝撃的だったけれど、告げられた事実にはさほど驚かなかった。 「天使?」 「うん、元ね」 何でもないように笑うヨシュアは、身じろぎするように羽を動かす。片翼だけのその姿はどことなくアンバランスではあるけれど、その姿はカゴの中の鳥が退屈そうに羽を伸ばす様子とよく似ていて、なんだか微笑ましい。 ヨシュア自身どこか浮世離れした生活感を感じさせないヤツだったから、元々が人間ではないと聞いて逆に納得してしまった。 「それが少し問題になってさ。まんまと下……ここのUGに下ろしてもらえたわけ」 「渋谷に……?」 「そう。いつも上から見てて、興味あったんだよね。僕、生まれつきだから」 落とされた単語に首をかしげると、ヨシュアはすぐに俺の疑問を察してくれた。 「天使には生まれつきのと、死神から上がってくるのがいるんだよ」 死神の元をたどれば人間だ。思い返せば確かに羽狛さんのメモにもそんなようなことが書かれていたけれど、人間がいつか天使になるなんておとぎ話のようで現実味がない。おとぎ話に出てくるみたいないいものじゃないけどね、とヨシュアは笑った。 上位次元と言われても俺にはあまり想像がつかないけれど、まあ、雲の上とでも考えればいいだろうか。 「下で少し頭冷やしてこいってさ。お目付け役に、死神上がりの羽狛さん付き。まあ僕って優秀だから、任されるのは渋谷だろうなってわかってたんだけど」 「自分で言うなよ」 あえて突っ込まないでやろうと努めたのだけれど、我慢しきれなかった。 「だって本当のことだもの。渋谷の影響は世界に関わるから、コンポーザーは責任重大なんだよ?」 そこまで自信満々に言い切られると、もはや何も言えない。いや、まあ実際優秀なのだろう。他の色々な面で問題があるだけで。 でも、ということはいつかは上に戻るということだろうか。こいつがそこまで優秀だと言うなら、上も手放せないのではないかと、尚更そう思える。困ったことに、雲の上なんてとても俺の手には届かない。 「最初は本当にただの興味半分だったんだ。けど、思いの外この街のこと気に入っちゃったから、もう戻る気はないよ。やることやってるから文句なんか言わせないし」 不安に思ったのが顔に出てしまったようだ。ヨシュアのゆびがそっと俺の髪を撫でて、優しい声で囁かれた。 ヨシュアは俺の手の届かない所には行ってしまわないらしいと安心して、ほっと息が漏れる。それならよかった。 「ネク君のこともね、はじめは興味半分だったんだよ」 言われた言葉は聞きようによってはひどい話ではないかと思う。でもヨシュアの表情は穏やかで、そのスミレ色に見つめられると俺は何も言えない。 「手を出したのもホントにただの暇つぶしだったんだ。まあ、あの時点でのパートナーは僕なのに、彼女のことばかり口にする君に苛々してたのも多少はあるんだけど」 ヨシュアの言うそれは恋愛感情などではなく、ただ子どもが玩具に抱く独占欲のような、そんな類の執着だったのではないかとなんとなく思った。 俺はおまえのオモチャじゃないと、いつか怒ったことはあながち的外れでもなかったらしい。やっぱり、俺はこいつのオモチャなのだ。 「でも、あんなこと言われたのは初めてだったから。ヘンな子だなぁと思って」 笑うヨシュアの表情はやっぱり無邪気で、子どものように見える。 「僕のものにしたくなったんだよ」 ヨシュアのもの、イコールUGのものということ。それは、俺が人間でなくなることと同義だ。 シャツのボタンが外れて何も遮るもののない俺の胸を、ヨシュアの手がゆっくりと撫でる。 「三週間経ったね。傷、消えてないでしょ」 ヨシュアが俺をゲームに放り込んだのと同じ時間。そっと傷アトを撫でられると、ちいさく身体が跳ねた。 「『その時』が来たみたい」 待ち望んでいた言葉に、どうしても胸が高鳴るのを抑えきれない。 「知りたいって言ってた僕のこと」 「うん」 「分かったでしょ?」 「うん」 「平気でひどいことするし」 「うん」 「人間じゃないよ」 「うん……」 今更そんなことを問いかけるヨシュアは、また言葉で言い表せない、あの顔をしている。 先ほどまでの無邪気な表情とのギャップに戸惑った。ゲーム中に俺の身体を無理矢理開いたときと、同じ顔。 どうしてそんな表情をするんだろうと、あの時の俺にはわからなかった。 「でも、俺」 あのゲームが終わってからずっと、俺はヨシュアのことばかり考えている。 離れていれば苦しくて、一緒にいられるだけで胸がいっぱいになった。酷いことをされると泣きそうになって、でも嫌いになんてなれない。優しくされると、その胸に甘えたくなる。 「そんなヨシュアが好きなんだって、ちゃんと分かったから」 だって、今、俺は。 「ヨシュアが、俺をヨシュアと同じものにしたいからあんなことしたんだって、分かって……嬉しいから」 ヨシュアはいつも順番が逆なのだ。子どものように己の欲求の赴くまま行動してから、その後にこれでいいの? と俺に問いかける。 きっと、そんな自分をヨシュアは知っているに違いない。知っていて扱いかねているのか、いや、たぶんヨシュアにとってはそれが当たり前なのだろう。ゲーム中、暗がりであの表情を見せたヨシュアと、今のヨシュア。 そんな顔をするヨシュアを、俺は切り捨てるなんてできない。 だって、どちらも俺を逃がそうとしたからだなんて、そんなの反則じゃないか。 生まれつきの天使としての無邪気さと、コンポーザーとしての人間くささを覗かせるヨシュアはアンバランスで、とても愛しかった。 「そっか」 ヨシュアはいつでも俺に逃げ道を用意してくれていた。それでもヨシュアを探さずにいられなかったのは俺の方なのだ。なのに、今だってまだ逃げ道を塞いでくれないヨシュアはひどいと思う。 「それに、俺ももう人間じゃないし」 だから、俺は逃げ道なんてないんだと思いこむ。ひどいヨシュアには、俺が自分で逃げ道を塞いで見せるしかないのだ。 ヨシュアとおんなじ、と消えなくなった傷をヨシュアの手のひらに押し付けた。 「もう成長しないし、歳とらないし、ヨシュアとずっと一緒だ」 「そうだね」 「だから、俺のことちゃんともらってくれないと困る」 そうだろ? とまっすぐにヨシュアの目を見上げると、満足そうにそのスミレ色が細められる。支配者としてのその顔に、ドキドキする胸が苦しい。 「困る、から……もらって、ください」 ヨシュアに喜んでもらいたくて、続く言葉はとても自然に口にできた。吐息のようにヨシュアのくちびるから漏れる笑いに、俺のほうが嬉しくなってしまう。 「よくできました」 そう言って額に一つキスを落とすと、ヨシュアは自身のポケットを探り何かを取り出す。スミレ色に光る、石、だろうか。 そのまます、とヨシュアのゆびが俺の左耳に触れて、耳たぶをなぞる。つまむようにぎゅっと撫でられると、ちいさく痛みが走った。 「んっ……」 「少し、我慢して」 ぱち、と何かかはじけるような音がして、ヨシュアのゆびが離れる。じくじくと痛みで熱を持つ耳が不安になってヨシュアを見つめると、安心させるように頬を撫でてくれた。 「これ、もいだときにソウルが余っちゃったから。小さくして持ち歩いてたんだよ」 ヨシュアが背中の羽を少し動かす。大きなそれは、少し羽ばたかせるだけで小さな羽毛が舞って、地面に落ちる前に瞬く間に消えてしまうのがなんだか勿体無く思えた。 「ネク君似合いそうだから、ピアスにしてみました」 「えっ」 おどけたような言葉に、さっきのヨシュアの目の色をした石が俺の耳にはめられたらしいことが分かって、なんだかものすごく照れくさい。 「死神はポイント稼がないといけないし、ネク君はもうゲームに参加できないしね」 ペナルティ解くのも面倒だし、とヨシュアは笑う。 「僕の眷属ってことで」 あまり難しい言葉は使わないで欲しい。俺の知ってる言葉でも、あちら側では違う使い方をしていたりするから。でも、本来の意味なら、それは。 「UGに属するためにネク君は僕のソウルに依存することになるから、僕が消えるときがネク君が消えるときだよ」 ずっと一緒だね、と囁かれる言葉も、俺を近しい者として置いてくれたことも嬉しくて、ぎゅっとヨシュアに抱きついた。 ヨシュアの背中にある柔らかい感触が手に触れて、少し不安になる。 「これ」 「うん?」 「痛くないのか」 もいだ、とさっき言っていたから心配したのに、一瞬きょとんとした後、思いっきり笑われてしまった。 「痛くないよ。自分でやったからね」 それならいい、のだけれど。 「ネク君て、やっぱりヘンだよね」 くすくすと笑いながら呟かれる言葉に、なんだか釈然としない。 なんとなく憮然としていると、身を起こしたヨシュアの長い腕が宥めすかすように俺の背中と膝に回される。そのまま抱き上げられて、優雅な足取りでヨシュアはベッドを降りた。 「さ、そろそろ行こう。夜が明ける前にね」 そっと左耳にキスされて、ひく、と身体が跳ねる。まだじくじくと熱を持っているはずのそこは、もう痛くなんてなかった。 「ああ」 ふわりと包み込む体温が嬉しくて、幸せで、胸がいっぱいで、何も気の聞いた返事のできない自分がはがゆい。 ちいさく呟きと共に頷き返して、足りない言葉を埋めるようにしがみついた腕に力を込めた。 こっちの系列のコンセプトは 人間じゃないネクを欲しがるヨシュア でした。 20080929 →もどる |