俺はいつも探してた。 あの生成りの髪と、スミレ色のまなざしを。 季節はもう秋になった。 学校の制服は長袖に変わって、いつまでもこちらを苛むかと思われた残暑もすでになりを潜めている。 冬の気配も、すぐそこまで来ているだろう。 高校受験だなんだと周りはあわただしいようだけど、今更慌てて勉強しなくてはならないような生活はしていない。 成績表は毎回渡しているし、進路希望の三者面談も無事済んでいるから親も心配していないらしく、何も言ってこないので気楽なものだ。 そうでなければ、この時期毎日こんなところでうろうろしていられないだろう。 十数メートルほど続くグラフィティの前を、ゆっくりと歩いてみる。 壁グラの上は普通の道路に続く坂道になっていて、進むごとに見上げるほどの高さになる。 見上げると、白いガードレールの向こうに見える母校が懐かしかった。 変わらずこちらにうったえかけてくるすばらしいグラフィティに見入るように歩を進めながら、ある地点に近づくにつれてだんだんと足取りが重くなる。 今にも覆いかぶさってきそうなほどの不吉な死神の絵が見えると、ぴたりと足が止まった。 俺が殺された場所。 RGに帰ってきて以来、俺はこの先に進めなくなってしまった。 この先はただの行き止まりで、寂れたライブハウスや立ち入り禁止の柵が見えるだけで何もないのだけれど。 ここをずっと憩いの場としていた俺にとって、ずいぶん狭いものになってしまったなと思う。 それでもこの先へ進もうとは思わない。 もう一度あの死神の前を通ったら、またあの銃声が聞こえそうだから。 いや、逆か。 銃声が聞こえなかったら嫌だから。 あの死神の前に立ち尽くしたら、もう一度アイツが俺を殺しに来ないかと馬鹿なことを考えたことがある。 正直、今も少し考えている。 それでも、きっとアイツは俺のことなどもうそ知らぬふりで、あそこに立ったとしても何も起こらないだろうことが分かっているから、それを確かにしたくなくて、この先に進めずにいるのだ。 もう一度死にたいわけじゃない。 あの日から時折俺を苛む夢は間違いなく俺にとって悪夢で、そのたびに飛び起きる。聞こえない銃声が聞こえる。寝不足で、よくイライラさせられている。 誰が好き好んで、またあの銃弾に身を晒したいと思うものか。 ただ、それでまたアイツに会えるならそれもいいかもしれないと思っている自分がいることは確かなのだ。 そんな自分が、自分をたまらなく不快にさせる。 何が世界には俺ひとりだけでいい、だ。 アイツがいなくなっただけで、こんなに弱くなるくせに。 あのゲームが終わってしばらくはまさに夢から覚めたような感覚で、呆然とするばかりだった。 当たり前のように元の生活に戻りながら、ずっとひとりで過ごしていた前の生活から考えるとそれは劇的に変化した。 ずっと目すら合わせなかったクラスメイトと、少し話すようになった。 おまえ、夏休み何があったの? と言われる。まだぎこちなくも、それに笑って返せるようになった。 週末になれば当たり前のようにシキたちと会う。 自分の生活に他人が入り込むことは想像していたよりずっと楽なもので、相手の生活に自分がいるというのはもっと嬉しいものだった。 まるであの三週間の日々は夢だったかのように感じられて、このまま薄れて、何事もなかったように過ごすのかもしれないと思ったほどだ。 でも、俺は気がついてしまった。アイツが俺にそんなことを許すはずもなかったのだ。 シキたちと会っているとき、たまたまシキの手と俺の手が軽く触れそうになったことがある。 それを、ごく自然によけた自分に驚いて、唖然とした。 シキは特に不審にも思わなかったらしく、不思議にそうにしながらも笑ってくれたけど、俺自身ショックだった。 アイツと、渋谷の雑踏で一度だけ手をつないだことがあったのを思い出す。 RGでの休日にあたったのかやけに人が多くて、人ごみに慣れている俺でも歩きづらいほどだった。 その中でアイツの細い線と淡い色彩はやけに頼りなくて、とっさに手を掴んでしまった。 RGからUGの人間は見えないながらも、自然によけるようになっているらしく、本来なら人が多かろうと少なかろうと気にする必要はないのだが。 後ろをついて歩くアイツは、いつの間にか人の波に紛れていなくなってしまいそうに感じたのだ。 そのときに掴んだアイツのひんやりとした手のひらの感触は、今でも覚えている。 その感触を忘れたくなくて、人の手に触れないように過ごしていた自分が、ショックだった。 そんな些細なことまで、俺はアイツに縛られているのかと愕然とした。 こんなこともあった。 会話の内容などほとんど記憶にも残らないような、些細なものだった。 教室で近くの席のヤツが話しかけてきて、それに適当に返事をする。 何かの拍子に、そいつが言ったのだ。 「桜庭、なんか変な顔」 それはおまえの台詞じゃない、と叫びそうになった自分は本当にどうかしていると思う。 笑いながら冗談混じりに言われた、他愛もない言葉だったのだから。 アイツを、思い出す俺のほうがおかしいのだ。 実際は『それはおまえの』あたりまで言ったところで我に返り、相手に少し首をかしげさせるだけで済んだのだが。 今でもそいつと話すと、なんとなく気まずい気持ちになる。 忘れたと思ったころに、些細な場面で何度もアイツは影をちらつかせて、そのたびに忘れるなどということは幻想なのだと思い知らされた。 気づけば、渋谷の雑踏にあの淡い色彩を探している。 渋谷には金髪や銀髪のヤツなどいくらでもいて、遠目に視界に入るたびに振り返る。 そのたびに、アイツの色はあんな単純な色じゃない、と思う自分が何なのか、俺は知りもたくない。 勝手に、人を殺して。勝手にあんなゲームに参加させて。勝手に人の街の存亡を賭けて。 また殺して。勝手に生き返らせた。 俺はおまえのオモチャじゃないと言ったのに、アイツはまるで聞いていなかったのだ。 人の生活のそこここで影をちらつかせて、姿を見せないアイツは何なのだろう。 あの日ハチ公前に現れなかったアイツを、UGに手の届かないこの場所でずっと待っている俺は何なのだろう。 それでも、今の俺のこの生活があるのは紛れもなくアイツのおかげなのだ。 週末に騒がしいやつらと渋谷を遊び歩く自分も。 クラスのやつと他愛のない会話をして、ときどき一緒に放課後の時間を過ごす自分も。 あの夏を普通に過ごしていたら、以前のままの自分でいたらありえなかった。 そう思うたびに、ああ、会いたいなと思う。 人を道具のように扱ったことはどうしたって許せないけれど、俺はアイツを信じているのだ。 アイツは、やっぱり俺のパートナーだと思うから。 携帯を取り出して時間を確認する。 そろそろ門限の時間だ。いくらあまりうるさく言われないとはいえ、毎日ほっつき歩いているので門限だけは守るようにしている。 なんとなくそのまま携帯を開くと、接続部が壊れていて少しひっかかった。 変わりばえしないいつもの待ちうけ画面。 もうこの携帯にミッションのメールが届くことはないし、一日に三回しか使えないカメラ機能も入ってなどいない。 受信ボックスに消せないメールが残っていることもなくて、ともすれば本当に夢だったように思える。 再びポケットにしまおうと携帯を閉じると、また壊れた接続部がひっかかった。 ゲームが終わった少し後からずっとこうで、いい加減買いかえなよとシキに言われ続けている。 壊れた直後は、俺も買いかえなければと思っていたのだ。 だから学校帰りに携帯ショップを覗くこともあった。 けれど店頭に大量に並んでいる機種を眺めながら、気づけば目にも鮮やかなオレンジの携帯を手に取っている自分に気がついて、怖くなった。 それ以来、携帯ショップには足を踏み入れていない。 開きづらい携帯を使うたびにそのことを思い出して、やっぱりあの三週間は夢などではなかったのだと思い知る。 壊れた接続部は、俺の心にずっとひっかかっているアイツそのものなのだ。 いつ、新しい携帯を開閉のたびに違和感を覚えることなく開ける日が来るのかなどわからない。 それは今いくら考えても分からないことだったので、くるりと踵を返して歩き出した。 以前はここに来るたびに心が落ち着いたのに、今ではただ心ざわめくばかりの場所になってしまった。 それでも訪れるのをやめることなどできない。 ここに来るたびに覚える胸の痛みを、忘れたくないんだろうなとぼんやり考えた。 二度も撃たれたはずの身体には傷ひとつ残っていなくて、アイツは俺から奪って、奪って、大きなものを残していった割に、アイツ自身のことに関して残したものが少なさ過ぎると思う。 最後のゲームのエントリー料はなんだったのかと、ときどき考える。 あのときの俺にとって一番大事だったものは、たぶん、『信頼できる友達』だった。 でも、シキもビイトもライムも、変わらず俺のそばにいる。ゲームに負けて、取り返せなくなったエントリー料はなんだったのか。 アイツがそばにいない時点で、答えはわかっているのだけれど。 では友達としてではなく、何になればアイツに会えるのかと考えても、その答えはわからなかった。 「会いにくればいいのに」 あの日、道端に置き去られた俺のヘッドフォンはどうなっただろうか。 世界の音を受け入れた日に、願いをこめたあのヘッドフォンはどこに行ったのだろう。 雑踏に蹴られて、踏まれて、ゴミになってしまっただろうか。誰かが交番にでも届けただろうか。いや、この渋谷でそれはないだろうな。 誰かに、拾われでもしただろうか。 「会いにくればいいのに」 もう一度呟いた。 家に帰ったらまたカーテンの色が変わっている気がする。 模様替えが趣味らしい母親の手で、家の中の様子は割と些細なところでころころと変化を見せているのだ。 そんな家の中であまり変わりばえしない俺の部屋が不満らしい彼女は、カーテンだけでもと普通の家よりは高い頻度で取替えが行われている。 あまり派手な色ではないことを願うばかりだ。 すれ違う人の波で、視界に入る金や銀を振り返るのはもはやクセになってしまっている。 あいつの印象的な瞳の色だけはそうそうお目にかかることはないから、それだけは救いだと思うけれど。 そんな自分に辟易することすら忘れてしまいそうなのが嫌だった。 前言撤回。多少、派手な色でも構わないから。 できることなら、アイツのことを思い出してしまわない色であるように。 この後、半年の放置プレイを経て鬼ごっこへ。 一部ネタを高樹さんとのメッセからいただきました。ありがとうございます! 20080813 →もどる |