※性描写を含みます。ご注意ください。 その日のヨシュアは、開いた窓の外側でふわふわ浮きながら、なかなか部屋に入ってこようとしなかった。 「ごめん。ネク君の顔、見たくなって」 さっさと入れよとその腕を引っ張ってやったら、床に足をつけたヨシュアに逆に抱き締められた。 なんだ? また眠いのか? おろおろと背中に腕を回すと、ぎゅうと力が込められる。少し、痛い。 「メグミ君、が」 誰だろう。メグミ、めぐみ。 肩口に顔をうずめるヨシュアの髪の毛が首筋を撫でて、くすぐったい。 「そろそろ一周忌かなって……とっくに死んではいるから、関係ないんだけどね」 『ご苦労様、メグミ君』 ――北虹。指揮者。 やけに目に付く赤いヘッドフォンと、サングラスで目元の隠れたイヤミな笑いを思い出す。 俺には、シキを奪われたり、ペナルティを課せられたり、嫌な思い出しかない。 けど。 『すばらしい機会をお与えくださり、ありがとうございました』 最後にお辞儀をしたまっすぐな背中は、よく覚えている。 俺にとっては敵でも、こいつにとっては直属の部下だったのだ。指揮者とコンポーザー。 俺にはどんな関係かなんてさっぱり分からないけれど、表情の見えないこいつの丸まった背中はとても寂しそうで。 背中に回した腕じゃ足りない気がして、こいつのシャツの布を掴んでぎゅうと握った。 「これでも、大事にしてたんだよ」 ぽつりと落とされた声音は今まで聞いたことのないもので、きっと俯いたこいつの顔も、俺の見たこともないような表情をしてるんだと思う。 それを俺が見ていいのかまでは分からなくて、こいつの髪が細く絡まるうなじを黙って見つめてた。 「ごめん、こんなことネク君に言うことじゃない」 唐突に痛いくらい抱き締めていた腕が緩んで、ヨシュアが顔を上げる。 ヨシュアは、いつも通りの顔で、でもスミレ色の眼光がやけに鋭い気がした。 腕が、ほどける。 「ヨシュアっ」 「ホントは来るつもりじゃなかったんだ。でも、気が付いたら足が向いてて……顔だけ見て行こうかなって。だから……今日は帰るね」 口元を歪めたヨシュアの顔は、自嘲しているような、泣きそうなような、全然、いつも通りじゃない。 離れようとする身体を無理矢理引き止める。 「待てよ!」 そんなにひどい顔してるのに帰せるわけないだろ! 「こんなの、ネク君に迷惑かけるだけだから」 吐き出された言葉に、突き放される。 思わずかっとなって言い返した。 「ヨシュアが辛いのに傍にいられないなら、俺って何なんだよっ」 辛くないなんて言わせないぞ。言ったら、鏡持ってきてその顔見せてやる。 「そんなの、俺、全然意味ない!」 なおも離れようとするこいつを、逃がすまいと回した腕で抱きつく。 「ネク君、あんまりくっつかないで」 「なんで」 困ったような、イラついているような、溜息。 慣れない音にびくりと身体がすくんだ。 「したくなるから」 あまりに脈絡のない台詞に場違いにも心臓が跳ね上がる。 し、したいとか、絶滅危惧種的台詞だぞ。キスしたいとか、抱き締めたいとかは言われるけど。 行為そのもの自体を催促するような言葉は、あまり聞いたことがない。 やばい、嬉しい。 ああ、今はそうじゃなくて! 「す、すればいいだろ」 「今日は、乱暴な気分だから。だめだよ」 投げやりに吐き出される言葉に、ますますこいつをこのまま帰したくないと思った。 「いい、乱暴にしろよ」 強がって言い返してみても、こいつにはバレバレかもしれないけど。 「僕が嫌なの」 「……」 何か。何かないだろうか。 こいつを繋ぎとめるような。約束。やくそく。 「おとなげないこと」 「え?」 「大人げないこと、するって言った」 あんなの、ただの寝言か、たわいない約束と思われてるかもしれない。 こんな風に駄々をこねる自分は、ヨシュアから見たらきっともっと子供っぽく見えるんだろうと思う。 でも、それでも。 こんなヨシュアの傍にいてやれない俺なんて、いないのと同じだと思うから。 「だから……」 溜息になり損ねた吐息を漏らして、困ったみたいに笑うヨシュアの顔が見ていられなくて、俯いた。 「参ったね、どうも」 本当に参ってるっていう声音で、抱き寄せられる。 「大人げない僕も、嫌いにならないでね」 そんなの、もう一度渋谷が崩壊したってありえないと思うけど。 後ろから突かれて、またぱたぱたと先走りがシーツに落ちた。 「あっ……は、あぁ……っ」 四つん這いになって、犬みたいな体勢でヨシュアのものを受け入れている。 身体を支える腕はすっかりくず折れてしまって、視界は涙と枕の布地に埋もれてよく見えない。 「う、ぁ……よしゅあ……!」 大人げなくするって言われたからどうなるんだろうと内心ものすごく心配していたものの、されること自体はあまり普段と変わらないように思う。 ただ、ヨシュアはあまり喋らなかった。 普段ならどこに触るのにも、用がなくてもいちいち断りを入れてくるのに、今日のこいつは喋らない。 いつも無駄に連呼してくる名前も呼ばれない。 それだけですごく不安で、ずっとスミレ色の瞳を見つめてた。 けどそうすると顔を見られるのが嫌だったのか、後ろを向かされた。 でも、ちゃんと愛撫して、慣らして、することはいつも通りで、余計に混乱する。 こんな体勢で挿入されるのも初めてで、どうしていいのか分からない。 いつもは顔が見える体勢か、後ろから抱っこされるような形でしかしたことがない。 ヨシュアの顔は見えないし、縋るものはずるずると逃げるシーツしかなくて、時折背中に触れる温度でしかヨシュアの体温が分からないこの体勢は、すごく怖かった。 ただ繋がったところだけが熱くて、気持ちいいのに苦しい。 それでも屹立を掴まれれば身体は正直なもので、勝手にヨシュアのゆびを濡らす。 「あ、あぁ……ゃ、ヨシュア……! よしゅあ……っ」 ヨシュアが呼ばない代わりに、バカみたいにヨシュアの名前ばかり呼んでた。 「ひ、ァ、ッ……!!」 前を握られながら乱暴に突き上げられて、あっけなく達する。 がくがくと震える身体に、お腹の中が熱い。ヨシュアもちゃんといってくれたのか、とぼーっと思いながらじんわりと侵食する熱を感じた。 しばらく自分とヨシュアの荒い息遣いを聞きながらぐったりしていると、ヨシュアが身じろぎしたのが分かる。 沈黙を破られるのが怖いなんて、いつ以来だろう。 「こっち、向ける?」 最中の堪えるような声じゃない言葉は久しぶりに聞いた気がする。案外普通に話しかけられて、拍子抜けした。 名前、呼んでくれないかな。 でもそれより何よりヨシュアの顔が見たかったので、ああ、と言う代わりにぐらぐらと悲鳴を上げる身体を無理矢理起こした。 そのままヨシュアに手伝われて、ひっくり返される。 入れたまま体勢を変えるのは全然慣れないのだけれど、ヨシュアは終わったあとすぐに抜くのは好きじゃないらしい。 「ん、んん」 それはなんだかすごくいつも通りのヨシュアで、内部をぐるりと擦られるのは確かに苦しいのだけど。 でも抜かれなくてよかったな、とか、よく分からないことを思う。 振り向いたとき、後ろにいるのは実はヨシュアじゃなかったらどうしようと一瞬思ったけど、目を開けて、すぐ前にあるのはいつものヨシュアの顔だった。 スミレ色の瞳も、ふちどる柳茶の睫毛も、柔らかそうな髪の毛も。よかった、ヨシュアだ。 くだらないことを考えて、でもちゃんとヨシュアがいて、ものすごく安心してしまった。ほう、と溜息が出る。 「ネク君」 あ、呼んだ。 「な、に……」 喉に引っかかって、上手く声が出ない。辛うじて空気を振るわせた声も、我ながら情けない音だった。 「顔、ぐちゃぐちゃ」 「えっ……」 慌ててゆびで擦ろうとすると、枕元にあったティッシュを手にしたヨシュアに拭われた。 「はい、ちーん」 「う、うぅ……」 頬を汚す涙だけでなく鼻水までかまされて、こいつは俺を幼稚園児か何かと勘違いしてないかと思う。 それでもされるがままにヨシュアの手を借りる俺は、きっとはたから見ればまるっきり子供のようで、恥ずかしい。 鼻をかむのに少しいきむとお腹の中が苦しくて何のプレイかと思ったが、顔を汚していた涙も唾液もきれいに拭き取られて気持ちいい。 枕元にティッシュを戻すヨシュアの姿がなんとなくまぬけで、少し気が抜けた。 俺の額に貼り付く前髪を払うなんでもない動作がやけに優しくて、泣きそうになる。 「今日の、嫌だった?」 予想もしていなかった問いかけに、驚いた。 「なっ……そんなことない!」 「ないなら、そんな顔しないよね」 う。 どれだけひどい顔してたんだ、と思ってもあとの祭りだ。 でも、ただ、いつも俺に分からないように気を使ってばかりのヨシュアが、したいようにしてくれたら嬉しかったんだ。 けど。 「だ、だって、いつも声かけてくれるのに、何も言わないし」 「うん」 「か、顔、見えないし」 「うん」 「でも俺がいいって言ったんだから、止めるわけないだろ……っ」 言いながら思い出して、我ながら情けない声が出た。 こんな風に言ったら、ヨシュアが傷つく。俺のバカ。ほんとに、情けない。 「うん……そっか、ごめんね」 ほら、ヨシュア悪くないのに。優しすぎるんだ。ヨシュアのバカ。 「なんで謝るんだよっ……ヨシュアわるくない、し……俺、別に嫌じゃな……」 「でも、怖かったでしょ?」 「……」 もう一度「ごめん」と呟いてキスされる。 その感触があまりにも柔らかくて、優しくて、また涙がにじんだ。 「ふ……ヨシュア……」 ねだるように首に腕を回してしがみつくと、宥めるように何度もくちびるが触れる。 やっと触れたヨシュアの体温は、温かかった。 もっと、と思ったのに、離れたくちびるが触れそうで触れない距離でヨシュアが囁く。 「もう、やめておく?」 「や、やだ!」 反射的に拒否した。くちびるにかかる吐息がくすぐったい。 「ほんとに、さっきの、やじゃなかったからなっ」 それだけは伝えたくて言い返したら、驚いたらしくウサギみたいな目になった。まあるいスミレ色がよく見える。 それからふわって笑って、くすくすと声が漏れた。 「そうだね……ネク君の、こんなだし」 さっきいったばっかりなのにね? と濡れた屹立を撫でられて、背筋が震える。 「ふ、ぅや……さ、さわんな……!」 ぶるぶると首を振ったけど、やんわりとした指の動きは止まらない。 そのたびにいきんでしまって、中のものを生々しく感じてしまって苦しい。 「子供にこんなことして……やっぱり大人げないね、僕は」 「ん、はぁ……んん……っ」 同い年のくせに、子ども扱いするな。 言い返してやりたいのに勝手に腰が揺れて、はくはくと呼吸が荒くなる。 「ね、どうしたら怖くないかな?」 ちゃんと教えて、と耳元で囁かれて、びくつく身体に声が上手くだせない。 「……っまえ、……で……」 「うん?」 意地悪く前をなぶるゆびが邪魔をする。 「な、なまぇ……」 「名前?」 「は、あっぁ、やっ……ゆび、やめ……」 「ごめんね、よく聞き取れなくて」 嘘吐き! はぁ、はぁ、と自分の呼吸音がうるさい。 「なあに」 「……ふ、ぅ……な、なまえ、よんでっ」 「うん、ネク君。それから?」 「ぁ、も……やら……っう、ぅ……」 いやいやと頭を揺らしても、ヨシュアは我関せずという態度を崩さない。 「それから?」 「ぅ……いっぱぃ、キス、して……!」 返答に満足したのか、ヨシュアが柔らかく微笑む。 その表情に思わず見とれると、変な呼吸音を漏らすくちびるに食むように口付けられた。 「んっ……んぅ」 それだけでひどく安心してしまって、親鳥のくちばしから餌を貰う雛鳥はこんな気分だろうかと思う。 あと、は。 「それから、ぎゅーってして?」 俺の頭の中を読んだかのようなヨシュアの言葉に、こくこくと頷く。 ふふ、と笑う吐息が聞こえると、シーツから浮かせるように背中に腕を回された。 そのまま抱き上げられて、壁にもたれたヨシュアをまたぐように座らされる。 途端にずぶずぶと中のものが深く入り込んで、息が詰まった。 「ひ、ぅ……っあ、あぁ……っ」 もうこれ以上入らないと思っていたもっと奥まで貫かれて、信じられない感触にがくがくと体が揺れる。 「は、あぁ……ぁ、うゃ……」 「ネク君」 ゆるゆると首を振る俺の頬を捕まえて、ゆっくり口付けられる。 無意識に開いたくちびるに自然に入り込む舌が嬉しくて、ひくつく内部を持て余しながらしがみつく腕にぎゅうと力をこめた。 「ん、は……んぅ」 応えるように背中に回された腕に抱き締められて、もう幸せで死ぬんじゃないかと思った。 死んだら俺はもう死神のゲームには参加できないから、ヨシュアに会えないのは困るな、とぼんやり考える。 「もう、怖くない?」 「ん……うん……っうん……」 キスの合間を縫って問われるから、キスしていいのか返事をしていいのか分からなくなる。 くちびるが離れるタイミングでこくこくと頷いた。ヨシュアの気遣うようなスミレ色が、間近に見える。 「ネク君」 「ぅ、うんっ……」 「ネク君」 俺がねだる通りに名前を呼ぶヨシュアに、たまらない気持ちになる。 本当はいちいち返事がしたかったのだけれど、うまく声が出せなくてぱくぱくとくちを動かすしか出来ない。 「ふ、あ……ぁっ」 ゆっくりと突き上げられて、緩慢な動きに内部がうずいた。 「よ、しゅあっ」 「うん」 「好きっ」 「うん」 もう身体が勝手に動いてしまって、腰を揺らすたびに喉から変な声が出る。 お返しのように腰を浮かせられて、落とされて、そのたびに粘膜が引き攣れるような快感が走った。 「ぅ、あぁっ……ん、よしゅ……すき……!」 「知ってるよ」 「や、あ、あぁっ」 突き上げられて、頬にくちびるが触れたのを合図に、そのまま熱を吐き出した。 「もうとっくに帰ったのかと思った」 身体を包む体温に驚いて目を開けると、目の前にヨシュアの顔があった。 どうやらあのまま気を失ったらしい。 らしい、というのはヨシュアも俺もきっちり服を身に付けていて、とっくに事後の処理は済んでいたからだ。 俺の場合はパジャマだけど。記憶が無い。 かあっと恥ずかしさで少し顔が熱くなって、寝起きのせいでぼーっとする。 「やだなあ。そんなことしたら、ホントに僕ただの鬼畜生じゃない」 なんだ、違ったのかと返してやれば「ひどいなあ」といつも通りの笑みが浮かぶ。 そのことにひどくほっとして、胸が苦しくなったのはこいつには内緒だ。 いつも通りだけど、きっといつも通りじゃない。 いつも通りに見せてるけど、少しだけ違うってこと、俺はちゃんと知ってなきゃいけないんだ。 「お前、が」 「うん」 促すようにそろりと髪に触れるゆびは、優しかった。 いつもは見下ろすような位置に腰かけていることの多いこいつがベッドの中の近い距離にいて、それだけのことが無性にうれしい。 夜明けまで、もう少しだけこのままで。 「あの人とどんな関係で、どんな風に過ごしてたかなんて俺には分からないから」 ただ、今日こんな日を。 大事な人を失ったときのことを思い出して、傷つく夜を。 「何も、言えないけど」 悲しい夜を、こいつが一人で過ごしていたら。 あの寂しい部屋の、冷たい玉座で。 一体何を思うのかと考えるとたまらなくなる。 「俺はいつも」 だから、ちゃんと知っていてほしい。 「ここで待ってるから」 こいつはコンポーザーで、人の心を読むのが上手くて、聡明なのだけれど。 ときに、ひどく鈍感だから。 ちゃんと知っていてもらいたいのだ。 色んなことを知って、気付いてほしい。 少なくとも、お前を一人にすると泣きわめくヤツがここにいるんだってことを。 「待ちぼうけ食らわせたくなかったら、ちゃんと会いに来いよ」 最後は気恥ずかしくなって、照れ隠しのように睨み付けてしまった。 溜息をこぼしたヨシュアのくちびるが瞼によせられて、反射的に目を閉じる。 「うん」 優しい感触のあと再び開いた目には、泣きそうな、嬉しくてたまらないような、慈愛に満ちたスミレ色が写る。 ヨシュアのこと、おれはまだ全然知らないことだらけだけど。 今この表情は、俺だけに見せてくれるものであったらいいなと思う。 小さく「ありがとう」と呟く声に、こいつが辛いときにちゃんと傍にいられるヤツでありたいと思った。 そうじゃないなら、俺がここにいる意味なんてない。 セックスの間余計なことを喋らないヨシュア、を受信したので。 20080716 →もどる |