「あのゲームは、渋谷を崩壊させたい僕と、それを阻止したいメグミ君のゲームだった」 カウンターごしに、この店の店主である――シンクの前に立つ羽狛さんに話しかける。 羽狛さんから受け取った(勝手に持っていけと言わんばかりに既にカウンターの上に置かれていた)小さな依頼品は、胸ポケットに突っ込んだ。 今はお使いに出せるような部下も不足していて、わざわざこの足で直接出向いたのだ。 一度かのゲームマスターによって情け容赦なく破壊しつくされた店内は修理され、今では何事もなかったかのように綺麗になっていた。 日はすでに傾きかけていて、もうしばらくすれば大きく開けた窓から差し込む光が、店内を黄昏に染めるだろう。 「ええ」 突然の来訪であったにも関わらず、リアクションゼロな辺り可愛いげがない。 夕方の中途半端な時間に、相変わらずお客もゼロ。 けど羽狛さんはこちらに背を向けて、使う機会があったのかも疑わしい食器洗いにいそしんでいる。 「僕が勝てば渋谷は崩壊、メグミ君が勝てば渋谷は存続。そういうルールだった」 気にせず僕は言葉を続けた。 「その通りです」 羽狛さんもどうでも良さそうに返事をする。 「ところで僕はネク君と出会って、渋谷の崩壊を取り止めた」 「……はあ」 「ネク君が変わるのを見ていたら、この渋谷も変われるんじゃないかって思ったから」 突然出てきた代理人の名前に、少しばかり彼の声が泳ぐ。 ちょっと会話の流れを失敗したかな。 まあいいや。 「それで?」 「話を戻すと、メグミ君とゲームをしなかったら僕はネク君と出会うこともなかっただろうね」 「そうかもしれません」 「その上で、今ここに、渋谷は存続している」 一瞬、羽狛さんは返事のまえに息を飲んだ。 「はい」 「なら、あのゲームは、メグミ君の勝ちだったのかな」 「……」 今まで機械的に相槌を打っていた羽狛さんの声が途切れた。 代わりに、かちゃかちゃと食器のぶつかる音がやけに響いて聞こえる。 「今ごろ気付いたんですか?」 やっと吐き出された言葉は、溜め息を吐かれなかったのが不思議なほどの声音だった。 「僕はわりと自分のことを買い被っていたんだけどね。どうやらコンポーザーにあるまじき、失態だよ」 羽狛さんがこちらを見ていないのを承知で、おどけるように肩を竦めてみる。けど。 「無様ですね」 いつもの冗談混じりの口調でありながら、その言葉はまっすぐ突き刺さるような切れ味で飛んできた。 ポーカーフェイスを装ったままではあるが、紛れもなく彼の本音なのだろうことは容易に知れた。 「全く、返す言葉もないよ」 「それで?」 食器の立てる音が止み、きゅ、と蛇口を閉める音と共に羽狛さんが振り向く。 サングラス越しの視線は、一枚の遮蔽物などものともしないほどに淀みがない。 「愚かしくも、今ごろそれに気付いたからと言って、どうなさるんですか」 彼にしては珍しく、負の感情を声音に乗せて露にしている。 「どうもしないよ」 「今更あなたが、勝者の彼に何か差し上げられるとでも?」 「メグミ君はもういないんだよ」 タイムリミットだったからね。 ポーカーフェイスが売りの彼の顔が、それと分かるくらいに歪んだ。 きっと、自分の顔も同じくらいに歪んでいるのだろう。 「僕らのゲームの都合に巻き込んだ参加者たちは、出来うる限り《生き返らせた》けど。 いないものには、何も与えることができない」 「……ええ」 「だから、僕はどうもしない。ただ、彼が命がけで守ったこの渋谷を」 気づけば完全に傾き色付いた西日が店内に入り込み、羽狛さんとその回りも赤く染めている。 ああ、薄汚れたこの街でも、日差しは綺麗だ。 「僕は変わらず、導き続けていくだけだ」 それが唯一、彼への餞になると思うから。 誰かさんは傲慢だと笑うかもしれないね。怒るかもしれないし、呆れるかもしれない。 羽狛さんはその言葉のあとしばらく歪んだ表情の口許をさらに歪めて僕と視線を交わしていたが、 何事もなかったかのようにシンクに向き直り、食器洗いを再開した。 そして用事の済んだ僕も同じように、くるりと踵を返して扉に向かう。 ドアノブに手をかけたところで、水音に紛れてぼそりと羽狛さんが呟いた。 「メグミは、渋谷を愛してましたよ。俺だって、今も愛してます」 その言葉は僕の頭に染み込むまでにやけに時間がかかって、その分じわり、と着実に全身に広がっていった。 知っているよ。 羽狛さんが《渋谷のために》したことも。 じわりと広がる感覚は、胸を締め付けるようで、体に熱を持たせるようで、悪くない感じだった。 だから、余計なことまで言う気になったのかもしれない。 「ゲームが終わってから、渋谷の未来を見たんだ」 ゲーム中は能力を制限していたため、未来透視の精度は格段に落ちていたから。 それならいっそ、と使うことはなかった。 「ちゃんと見えたよ。変わっていく渋谷の未来がね」 水音は途切れることなく響いている。 「メグミ君には、感謝してる」 そのまま返事を待つことなく、返事があるとも思わなかったので。 思い切りドアを押して、渋谷の雑踏へと足を踏み出した。 カランカラン、と小気味良いベルの音が鳴り響く。 外に出れば店内に差し込んでいた光と同じ赤が、比べ物にならない光量で渋谷の街を染めている。 「ああ、やっぱり」 戻ったらまず、胸ポケットに収まっている羽狛さんの仕事ぶりを確認して。 また書類に目を通すところからかなと溜め息をつく。 メグミ君、君がいないとお使いにも自分で行かなくちゃいけないし、少しばかり、書類の整理が面倒だよ。 「僕たちの街は、愛おしいね」 ハネ→メグのような。ヨシュ→メグのような(上司と部下的な意味で) メグミちゃん追悼。 20080710 →もどる |