※性描写を含みます。ご注意ください。




「彼女のこと、助けたいんでしょ?」
 助けたい。助けなくちゃいけない。ハチ公での待ち合わせが、まだ済んでない。
 シキに教えてもらった色んなこと、まだ何も返せてない。
 そのためにはこいつの協力が不可欠なんだ。
「僕の言うこと聞けるよね」
 だから。
 こいつは俺のパートナーだから。


 なんで急にこいつがこんなことを言い出したのかは分からない。
 ろくにミッションも出ない今回のゲームに飽きたのだろうか。
 元々、こいつはミッション自体面倒くさがってたように思うのだが。
 そもそもなんで参加してるのかわからない生き人のこいつのことだから、俺の立場から理解するのは難しいことなのだけれど。
 渋谷の喧騒がすぐそこに聞こえる、薄暗い路地の壁でなぜかこいつに押さえつけられている。
 本来ならいつ誰が来てもおかしくないこんな場所で、と思うところだが今現在UGに属している俺たちにはあまり関係がない。
 ただあちらから見えなくても、こちらは見えているというのがやりづらいことに変わりないのだが。
 易々と押さえ込まれた身体も、にやにやと何食わぬ顔をしているこいつの視線も屈辱的以外の何物でもない。
 ないが、今の俺には悔しさを堪えて顔を背けるくらいしかできなかった。
 もちろんこいつが唐突に「暇だからやらせてよ」などと頭が沸いたとしか思えない台詞を吐いたときは、止めろ嫌だ離せと散々に抵抗したつもりだが、シキの名前を出されては大人しくする以外に何も術などない。
 パートナー、だから。
 こいつがいなくては、俺はこの渋谷でたったの一日も生き延びることができないのだ。
 それではシキを助けられないから。
「ふふ、急に大人しくなったね。もう少し元気にしてくれても僕は楽しいんだけど?」
 まさぐるように服を捲る手も、目の前にあるスミレ色の瞳も、俺の知らないものだ。
 こんなに近い距離でこいつと接するのは初めてで、落ち着かない。
 そもそも何をどんな風にされるのか全く予想がつかなくて正直怖かった。
 同時にこんな理不尽な目に合わされる憤りも当然感じていて、入り混じる感情をどう発露していいかなんて分からない。
「う、るさい……いいからさっさと済ませろっ」
 こいつが生き人だと死神にばれたあの件のせいで、力づくではこいつには敵わないことを見せ付けられた。
 バッジも使わず禁断ノイズを一瞬で葬った様を見せ付けられては、俺ごときがどれだけ抵抗しても無駄なんだろうと思う。
 せめてもに、目の前の余裕綽々な笑顔を睨みつける。
「そうそう、それくらい元気なほうがいいな。さっさと済ませるかどうかは僕が決めるけど」
 ボタンのない俺の服の裾を捲りながら、するりと入り込んだ手が腹を撫で上げた。
 思いの外冷たい手の感触に肌が粟立つ。反射的に震えた身体にも構わず、ずうずうしく触れてくる腕を思わず掴んだ。
 抵抗しても無駄だと分かりつつ身体が勝手に動いてしまったのだが、それがこいつにはお気に召さなかったらしい。
 ふーと嫌そうに溜息を吐きながら、命令される。
「そういうの面倒だから、後ろ向いてくれる? 壁に手、ついて」
 嫌々ながら従うと、後ろからこいつに抱えられているような体勢になる。いよいよもってこいつにされるがままの、屈辱的な格好に唇を噛んだ。
 ヨシュアはヨシュアでこの体勢に満足したらしく、先ほどの続きのように俺の身体を撫でてくる。
 抵抗したい気持ちを必死に抑えている俺になど構うことなく、当たり前のように下肢へと伸びる手に、咄嗟に脚を閉じた。
 けれどもそんな些細な抵抗も脚の間を割るように入り込んだ膝にあっけなく崩されて、股間を押し上げるように圧迫されれば息を荒げるしかない。
 ぞわぞわと肌を走る感覚から目を背けるように、ぎゅっと目を瞑った。


「シキ、シキってネク君はそれしか能がないのかな」
 ぼそりと呟かれたその言葉はこちらに聞かせる気がないであろうほどにささやかで、ほとんど聞き取れなかった。
 何かとても大事なことだったんじゃないかと聞き返したくても、腹の中を掻き回すゆびに意識のほとんどを持ってかれてしまえば叶わない。
「なんでだろうね」
 こいつの気まぐれでどの程度手酷く扱われるのかと怯えていたものの、思っていたよりも乱暴にはされなかった。けれどもだからといって溺れるほどの快感を与えられるでもなく、必要最低限という言葉がふさわしい行為に思える。
 後ろから抱えられたまま局部を掴まれて、初めて他人の手に撫で回される感覚に逆らう間もなく射精させられた。そのまま吐き出した白濁を潤滑液代わりに後ろを開かれて、今は増やされたゆびが探るように内部を動き回っている。
 ベルトを外された下衣は下着ごと落とされて、足元にわだかまっていて落ち着かない。
 開かれたばかりのときのような痛みは和らいだものの、がくがくと震える膝はヨシュアに支えられていなければすぐにでも崩れ落ちてしまいそうだ。
「は、ぁ……ぅく……」
 壁についた腕に額を押し付けて、身体中を支配する違和感に耐える。
 何度も何度も中を行き来するゆびに、痛みとは違う感覚が襲ってくるのを先ほどから自覚していた。
 理不尽極まりない命令をされて嫌々身体を開かれているはずなのに、その感覚はまごうことなく快感に分類されるであろうことが何よりも理不尽だと思う。
 気持ちとは関係なく身体は素直なもので、屹立したもので自分が快楽を得ていることはヨシュアにもとっくにばれているはずだ。
 ヨシュアの行為の意味も、心とかみ合わない肉体の反応も、何もかもが自分の意思とはちぐはぐで、生理的な涙で濡れたまぶたがまたじわりと熱くなる。
「な、んでっ……」
 咄嗟に口をついて零れた言葉は、あまりにも漠然としすぎていて自分でもどんな解を求めているのか分からない。
 ヨシュアのことも、自分のことでさえも分からなかった。
「ここでもちゃんと感じるようにできてるんだよ。そんな顔しなくても、身体がそうなってるのさ」
 零れた言葉は自分の反応について戸惑っているのだとヨシュアの耳には届いたようで、投げやりな解説をくれた。
 そういうものなのかと理解はしても、到底心はついていけない。
 一瞬覚えた安堵も、すぐに掻き消えてしまうほどに微々たるものだ。
「う……ぅくっ……」
 ゆるゆると首を振っても散らばることなく襲ってくる感覚に、ただひたすら震えながら耐えるしかなかった。
「もういいよね」
 天気の話をするような軽い響きで言われてすぐ、ずるりと体内の指が引き抜かれる。あまりにも唐突な変化にあっけなく膝が崩れて、ヨシュアの手に支えられた。
 荒くなるばかりの呼吸を整える暇もなく、熱いものが押し当てられる感触。
 声を上げようとする前に、有無を言わせず押し込まれた。
「……っ!」
 痛い。熱い。
 先ほどまで体中を暴れまわっていた感覚など比にならないほどに、ただその二つの感覚だけに全身が支配される。
「あ、あっ、ぁ」
「力、抜いて。って言っても無理かな」
 容赦なく割り開かれて、唇から勝手に悲鳴のような声が漏れる。
 飄々と後ろから聞こえるヨシュアの声が、どこか遠い。
 ぶるぶると頭を振っても、こいつを拒む要素にはなりえなかったようだ。痛みを訴える身体とは裏腹に、散々内部を掻き回されたせいか押し込まれたものがずぶずぶと容易に入り込む。
 いつの間にか前に回されたゆびに萎えたものを握られて擦られれば、簡単に力が抜けてしまった。
 我が物顔で体内を蹂躙するものに今の感覚が痛みなのか快感なのかもわからず、ただ声を上げて震えた。
 自分のことですら分からないのに、こいつのことなんて到底分かるわけない。
 ただ、今こいつはどんな顔をしているんだろうとそればかりがやけに気になった。
 後ろから貫かれる体勢に、こいつの様子を伺うことができないからかもしれない。
 こいつがどうしてこんなことをするのか分からないし、果たしてこの行為がシキを救う手助けになるのかも、気まぐれなこいつ相手では正直わからない。
 パートナーなのに、どうしてこんなに分からないことだらけなんだろう。
 身体を支配する痛みに、熱に、さっきから視界はぼやけるばかりでろくなものを写さない。ただ容量を超えた液体が、ひっきりなしにぱたぱたと零れていくのをぼんやりと感じた。
 俺は、こいつを分かりたいんだろうか。
 ふと、俺のことが分からないと訴えた揺れるピンクの髪と、茶色の瞳を思い出す。
 いつのことだったか、あいつに出会って、すぐだ。
 死神に唆されて俺はあいつを殺してしまうところだったのに、なんてお人よしなんだろうと思った。
 あのとき、お前はなんて言ってただろう。
 なぜだか無性にヨシュアの顔が見たくなって、必死に後ろを振り向いた。
 声を出そうにも唇から漏れるのは意味のない音ばかりでどうすればいいのか分からない。
 けど、単なる偶然か気まぐれか、ぐ、と身体を持ち上げられて反転させられた。
 貫いたままのものが内部を暴れる感触に、息が詰まる。
「ひ、ぅっ」
「なあに」
 落とされる声音にも、やっと見つけたスミレ色にも、感じ取れる色が何もない。
 この閉ざされた理不尽な世界で今誰よりも近しいはずの存在が、どうしてこんなに遠いんだろう。
 どうして、お前はそんな顔をしてるんだろう。
 何かを伝えたいのに、どうすれば伝わるのか分からなくて、闇雲に手を伸ばした。
 柳色の柔らかな髪の毛をすり抜けて、こいつの首に腕を回す。
 まともな声が出るか分からなかったので、ぐぐ、と精一杯引き寄せた。
「お、れはっ」
 思ったとおり、まともな声なんて出なかった。でも掠れようとなんだろうと、伝えたかった。
「おまえの考えてること、知りたい……っヨシュアのこと、もっと分かりたいよっ」
 最後は感情が高ぶりすぎて涙声に近くなってしまった。
 実際ひっきりなしにこみ上げてくる熱いものが、瞼から雫になって零れ落ちるのが止められない。
 そうだ、俺はもっとお前のことが知りたいんだ。分からないままでいるのはもう嫌なんだ。
 シキ、お前もあの時こんな気持ちだった?
 俺のことを知りたいと言ってくれた、まっすぐで必死な茶色の瞳が頭をよぎる。
 こいつのスミレ色に、俺はどんな風に写ってるんだろう。シキみたいになれるとは到底思わないけど、せめてこの気持ちのひとかけらでも伝わればいいのにと思った。
 お前は、何をしようとしてるんだ。お前が俺を殺したのか?
 お前にとって、俺は何だ?
「……」
 沈黙を守ったままのヨシュアが怖い。
 せめてすぐに隠れてしまった表情だけでも確かめたくて、長くかかる前髪に震えるゆびを伸ばす。
 が、触れる直前で払いのけられてしまった。どうしていいかわからなくて、行き場のない手のひらをぎゅっと握り締める。
 はぁ、と大げさな溜息が聞こえた。
「興醒めだな」
 え、と顔を上げようとする前に、腰を掴まれた手に力がこもる。
 そのまま、その手で強引に俺を穿っているものを引き抜かれた。
「ん、ぃ……あ、あぁぁっ」
 急激な喪失感に身体がついていけず、内部の粘膜がひくつく。乱暴な動作にがくがくと身体が震えた。
 あまりに唐突な行動に疑問を持つ暇もなく痛みで萎え中途半端に屹立したものを掴まれて、擦り上げられる。
「あ、あっあぁ」
 先ほどまでの乱暴な手つきが嘘のように優しく扱かれて、あっけなく達してしまった。
「はっ、はぁ……」
 追いつかない呼吸が苦しくて、ひゅうひゅうと喉が鳴る。
 もう脚どころか体中のどこにも力が入らなくて、支えを失った身体がずるずると壁沿いにへたりこんだ。
 しばらく、耳障りなほどにうるさく響く自分の呼吸音だけが聞こえる。
 荒い息を抱えてぼうっとしていると、すぐ横に誰かが座り込んだような衣擦れの音。
 同時に肩にふわふわとくすぐったい感触とわずかな重みを感じた。
 座り込んだ俺の隣にこいつが腰掛けたんだと理解するまでに、少々時間がかかった。一度に色々なことがありすぎて到底まとまらない頭も、ようやく少しずつ疑問を感じ始める。
 こいつから言い出したくせに、なんで途中で止めたんだ? っていうかなんで隣に座るんだ。
 ぐるぐると渦巻く思考を持て余しながら、動かない身体にもどかしさを感じる。
 乱暴を働いた相手の隣にいけしゃあしゃあと居座るこいつの心情はまったくもって理解できない。
 理解できないが、こいつを払い退けるのにも殴りつけるのにも今の身体では到底無理だったので、仕方なくそのままにしてやった。
 重い頭をどうにか動かしてこいつに目をやると、うつむいた頭のつむじだけが見える。
 表情の見えないその角度から見たこいつは、ひどく子供っぽく見えた。
 どうしてそう思ったのか分からないけれど、なんだかその頭を撫でてやりたい気持ちになって、でも重い腕は俺の命令など聞いてくれずろくに動かなかったのでそのまま見つめるに留めた。
 お互い無言のまま過ごしていると、唐突に沈黙を破ったのはヨシュアのほうだった。
「ネク君が変なこと言うから、萎えちゃったよ」
 ぼそりと呟かれた言葉に、怒りを通り越して呆れてしまった。
 なんだそれは。どうしてこんなことをされた俺のほうが文句を言われなくちゃいけないんだ?
 こうして座っているのもやっとなほど悲鳴を上げている身体をどうしてくれる。
 むしろ俺はこいつがやる気を失くしたせいで助かったと言えば助かったのだけれど、もやもやと言葉にできない気持ちが胸の辺りにわだかまる。
 そもそもずうずうしくこの場に居座るヨシュアに、憤りも殴りかかってやりたい激情も湧いてこない自分が不思議だった。
 怒りと言うよりやっぱりそれは呆れに近いような、溜息を吐きたいような気持ちにはなるものの、この場にふさわしいような激情と言うものは程遠い。
 もうここまでされたらどうしようもないと思って、開き直っているのかもしれない。
 あるいは、疲れきった身体にまともな思考も出来ないだけなのか。
 ふふ、と聞きなれた声が鼓膜を揺らした。それはなんだか自嘲気味に、ともすれば泣きそうなようにも聞こえて胸がざわめく。
 怒るどころか、そんな笑い方をするこいつをむしろ心配している自分に驚いた。
「ごめん、どうかしてたみたいだ」
 吐き出す言葉とともに上げられた顔に浮かぶ表情は、今まで見てきたそれと合致するものがない。
 くすんだスミレ色に、また胸がざわめいた。
 どうかしてた?
 全くだ。腹立たしいくらい、これほど今のこの状況にふさわしい言葉もないなとおもう。
 本当ならそんな一言で済ませようとするこいつを一、二発どころでなく殴るくらい許されて然るべきだと思うのだが。
 それでも俺が指先一本動かさなかったのは、そう言ったこいつの表情がなんだか寂しそうに見えてしまったせいだ。
 俺の願望がそう見せただけかもしれないが、見えてしまったものはしょうがない。
 こいつを殴る気などそれで失せてしまったのだから。
 幕開けも幕切れもあまりに唐突で、ただだんまりと背中に当たる外壁に身体を預けるしかできない。
 隣では、俺の肩に頭を預けるヨシュアの柔らかい髪の感触。何なんだろうな、この状況は。
 全くもって理解しがたいことばかりで、このまま目を閉じてしまえば明日には何事もなくなっていやしないかと妄想じみたことを考えた。
 とはいえ下肢を汚す不快感は紛れもなく現実のもので、今の自分の格好ばかりはどうにかしなければと思い、気だるい腕を動かす。
 幸い下衣はほとんど脱がされていたお陰で、身体についた精液を拭うだけで済みそうだ。
 まあ、前から後ろから汚れているのでそれが問題なのだが。
 ポケットを探ってみたものの、いつぞや駅前でもらったのであろうなけなしのポケットティッシュくらいしか出てこなかった。
 ハンカチの一枚でも出てくればと思ったが、自分の雑把な性格では無駄な期待だった。
 絶対足りないだろうなこれ。
 とりあえず努力はしてみようかと一枚ずつ綺麗に折り畳んで使ってみたものの、使いかけだったそれはすぐに終わってしまった。
 拭えるだけ拭っては見たものの、十分とは言い難い。
 どうしたものかと途方にくれていると、す、と横から手を伸ばされる。
「使う?」
 白い手に乗せられているのは、大判の青いハンカチ。
 見るからに高そうな。つかブランド名入ってるし。
 正直、困った。
「た、すかる……けど、んな高そうなの、使えないっつーか」
 無体を働いた相手に何を遠慮しているのかと我ながら疑問に思ったが、かと言って素直に受け取ろうなどとも思えないのだからどうしようもない。
 まごまごと言葉を濁すこちらに対し、ヨシュアはどうでもよさそうに言う。
「別にいいよ。そのままじゃ気持ち悪いでしょ?」
 それはもちろんそうなのだが。
 差し出されたままの手を前に戸惑った。
「明日になれば参加者の疲れとか汚れの状態はリセットされるけど、寝るまでそれだと多分気持ち悪いよ」
 そうなのか。相変わらずゲームに関しては無駄に詳しいな。
「あ、ああ……」
 いつまでもこいつが手を引っ込めなさそうだったのでおずおずと受け取ってはみたものの、やっぱり使いづらい。
 ハンカチの青とにらめっこするのを見かねてか、折り畳まれた布は再び溜め息を吐いたヨシュアの手に拐われた。
「ネク君が使いづらいなら僕がやるけど?」
 いつのまにか身を起こしたヨシュアに見下ろされていて、ぐ、と肩を掴まれる。
 反射的にびくりと身体が震えると、触れた手はすぐに離された。
「どこに触ろうと文句は受け付けないけど」
 どうする? と視線で問われて、もしかして気遣われたのかと気が付いた。
 そりゃ、自分に乱暴を働いた相手に触られるなんて普通は嫌なんだろうけど。
 実際はそんな気持ちは微塵もわいてこず、さっきのは本当に(たとえば目の前に手をかざされたら咄嗟に瞼が下りるような)単なる反射だったのだ。
 それなのにこいつに誤解をされていたら嫌だなと思ったので、睨むように言い返した。
「お前のせいで汚れたんだから、お前に拭いてもらう」
 驚いたように軽く見開かれたスミレ色を見て、なんだかとても恥ずかしいことを言ってしまったと思ったものの、気付かないふりをした。
 しばしスミレ色とにらめっこしたあと、ハンカチを掴んだヨシュアの手がゆっくりと俺の身体に伸ばされる。
 皮膚にへばりつく残滓を丁寧に拭われると、残っていた不快感も和らいだ。腹から太腿から際どいところを触られていても驚くほど嫌悪感などはわいてこなかった。こいつの手付きが思いの外優しく、いやらしさの欠片もなかったせいかもしれない。
 もう殆ど不快感も感じないくらいまで拭われると、そのまま衣服の乱れまで直された。疲れきった今の体ではそれだけの些細な動作でも億劫だったので、無意識にほっと息をつく。が、なんとなく母親の手を借りて衣服を脱ぎ着する子供を彷彿とさせて少しばかり居心地が悪かった。
 ベルトのバックルまで止め終わったらしいヨシュアは、何も言わず先程と同じように隣に腰を下ろす。相変わらず傍から離れようとしないのは何か意図してのことなんだろうか。まあ、パートナーなのだからお互い離れた方が危険なのだけれど。
 どうしてとか、なんでとか、色々問い詰めたいきもちもあったのだけれど、うまく言葉にできない気がする。
 だから、ただ何となく。理由を問われたって、自分でも分からない。しいて言うなら、ひどく手持ち無沙汰だったので。
 何も言わないヨシュアの、無造作に投げ出された手をそっと握った。
 触れた瞬間ぴくりと動く指を感じたが、特に振り払われるわけでもなくましてや握り返されるでもない。
 その反応のなさに逆に安心して、体温の低い手のひらを温めるように指を絡めた。
 自分でも馬鹿なんじゃないだろうかとは思ったが、やっぱりこいつに対する嫌悪感などはわいてこないのだ。
 ひどく放っておけない気にさせるこいつを見かねて、何かしたいとすら思ったのかもしれない。
 むしろ、人のことを弄ぶようにのらりくらりとかわす昼間のこいつよりも、今は少し近い場所にいられてるんじゃないだろうかと思う。
 ああ、うん、馬鹿なんだろうな、俺。
「俺、は」
 もう辺りは通りの目映いネオンを残して暗くなっていた。
 いつもならとっくに意識を飲み込んでいる闇も、遅ればせながらもうすぐ訪れるだろう。
 その前に、何かこいつに言っておいてやりたいと思った。
「お前がなんでこんなことするのか分からないし、めちゃくちゃ苦しいし痛かった、けど、やっぱりお前が何を考えてるのか知りたいし、お前のこと……分かりたいと思う」
 伝えたいことは自分でも把握しきれてなくて途切れ途切れになる。けど、思ったままに言葉にした。
「だから、いっぱい考えるから」
 シキが俺にしてくれたみたいに。うまくできるか分からないけれど。
 やっぱり、こいつは俺のパートナーだと思うから。分からないままでは、きっとダメだと思うから。
 ふふ、とこいつの吐息が柔らかく空気を揺らす。
 笑ったのだろうその表情を見やると、どことなく弱々しかった。
「ネク君て、やっぱり変だね」
 遠くの街灯を緩やかに反射して白く浮き上がる髪も、瞳も、訳もなくこちらを寂しくさせる。
 俺を道具のように扱ったヨシュアと、今のヨシュアと、どちらが本当なのかあるいは両方なのか、今の俺にはまだ分からない。
 ただ、こいつのこんな表情も纏う雰囲気も、きっと今この暗がりでしか見られないんだろうとぼんやり思う。
 だから、また殺伐と追われるだろう明日が訪れるまでは、こいつの手を握っていようと思った。


20080627

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