目がさめて一番最初に飛び込んできたのは、影守さんのキレイな顔だった。
驚いておもわず身じろぎしたものの、どうやら目の前の人物を起こすほどではなかったらしい。 カーテンから漏れる光は、もう朝の程よい時間なのだと示していて、二度寝しようかという思考は阻まれた。 そういえば今日はお互いに学校も休みで、昨日の夕方から会ってご飯を食べて、そのまま影守さんの家にお邪魔して、真由香ちゃんは合宿だとかで生憎お留守で、明日は丸一日使って二人で出かけましょうと約束をして、夜はそのまま自然な流れで一緒のベッドに入って、云々、とりとめもなく頭を駆け巡る。 自然な流れでって全然自然なわけないじゃないかとか、どうこうしたとか、そんなの自然って言えるほどまだぼくはこの人に慣れてない。 というか、この先も慣れることはないようにおもえるけど。 だんだん恥ずかしいやら情けないやらで体温が上がるのを自覚しつつ、少し近づいて目の前の静かな寝顔を観察する。 強い光を持つ金の眼差しは、今は冷たく青白いまぶたに覆われている。うっすらと頬に影を落とすまつげも、お化粧をした女の人みたいに長い。 よくよく見ていると、キレイなひとは眉の形もキレイなんだなーと感心した。平和そうだとか、ボンヤリしてると評されることが多いぼくとは反対に、凛々しいとか、鋭いとか、そんなかんじだ。 その目元を隠すようにかかる髪の毛は、真っ黒なのにときどき藍ががったようにも見える不思議な色彩だ。硬質で細いそれは、ゆびで触れると少し冷たくて、掬い上げようとするとさらさらと逃げていくのをぼくは知っている。 鼻筋は通っていてやっぱりキレイだし、薄いくちびるがそっけなくてストイックにも感じるし、逆に色っぽいようにもおもう。 女の人みたいにキレイだ、とはぼくもよくおもうけれど、頬のラインも全体の造作も、どこをどう見たってそれはやっぱり男の人の顔立ちなのだ。 これで頭が良くて、若手で一番腕のいい脳神経外科医で、喧嘩が強くて運動神経も抜群だなんて反則だとおもう。看護婦さんたちが騒ぐのもうなずける。 まあ、それと全部引き換えるように、社交性ゼロで、性格はとってもとってもひねくれているのだけど。 そのくちびるから紡がれる数々の毒舌をおもいだして何となくいたたまれなくなり、気を取り直すようにゆっくり身を起こした。 ひどい寝坊をするような人ではないから、今わざわざ起こすのも気が引けて、なるべく静かに布団から抜け出す。ふと、何となく部屋の中がひんやりしすぎている気がした。 それから朝の生理的欲求を果たすべく、洗面所に向かう。 手を洗って戻ってくると、部屋の冷気がいっそうきつく感じた。やっぱりクーラーのききすぎだ。タイマーをかけるのを忘れたらしい。 サイドボードに置かれたリモコンをとって、温度を上げる。ついでに風量も微弱にしておいた。 リモコンを戻しながらベッドに目を向けると、いつのまにか目を覚ましたらしい影守さんがこちらを見ていた。 「わぁっ」 「朝っぱらから騒々しい。人の顔を見て奇声を上げるやつがあるか」 「す、すみません、てっきりまだ寝てるとおもってたんで…」 言いながら、まだ設定温度を上げたばかりで依然低いままの室温に、無意識に腕をさする。 すると、入れと促すように影守さんが布団を上げてくれた。 二度寝するつもりじゃないよなとおもいながら、温かい布団の誘惑には抗えず、素直にそこに潜り込む。 「なんだ、ずいぶん寒いな」 ぼくと一緒に入ってきた冷気に驚いたように呟きながら、当たり前のように抱き寄せてくれた。 人間嫌いの影守さんが、本当は身内以外には興味が希薄なだけで、一度懐に入れた相手には言葉以外のところでちゃんと優しい、ということを知った今でも、やっぱり照れくさくて落ち着かない。 「昨日タイマーかけ忘れてたみたいです」 「ああ…それでリモコンをいじっていたのか。悪かったな」 「いえ、ぼくも忘れてたんで」 寝起きのひと特有の高い体温が心地よくて、すこしだけ身を寄せた。 ふと、さきほどの時点ではしっかりとまぶたは閉じられていたのに、いつ目が覚めたのだろうと疑問が頭をもたげる。 「あの、すみません、もしかして起こしちゃいましたか?」 「いや…もうほとんど頭は起きてたからな。特に早起きする気もなかったから、目は閉じてただけだ」 「え…?」 それは、もしかして。 悪い予感がよぎるよりもさきに、影守さんのくちびるが楽しそうにつりあがる。 「片山、俺の顔を観察するのは、そんなに面白かったか?毎日見飽きてて自分じゃ気がつかなかったぞ」 「え、わ、す、すみません」 「なんだ、本当に見てたのか。謝るということは、何か相応の悪戯でも仕掛けたのか?」 ああもう、どうしてぼくはいつも引っかかってしまうんだろう。 悪戯と聞いて、いつだったかの自然界には存在しない濃度のあの薬品をおもいだした。 「違います!影守さんじゃあるまいし、第一そんな度胸ぼくにはありませんよ!」 「ほう?」 楽しそうに細められた目で見つめられて、適当な言い訳などおもいつかず、結局素直におもったままを言葉にした。 「ただ、いつもながらキレイな顔だなーとおもって、見てただけです」 いつもの毒舌が繰り出される心配もないから尚更、とはさすがに口にしなかった。 「なんだつまらん。そういうことは女相手に言え、生憎俺は照れてなんかやらんぞ」 「影守さんの照れた顔なんて、きもちわるくて想像するのもはばかられますよ」 「…お前はよほど、俺とのスキンシップを求めていると見えるな」 ぼくの身体に回された手の片方を、頬に向けて寄せてくる。 おそらく、いや間違いなく、目的は攻撃だ。 「わーっわーっ」 「うるさい」 「大丈夫です、影守さんからのスキンシップは今のままで有り難いほどに十分ですってばっ」 「遠慮するなよ、寂しいなら寂しいとそう言え」 「してませんっ、てちょっ、待っわあもうごめんなさい、ぼくが悪かったです!」 「謝るぐらいなら、最初から口に出すべきじゃないとおもわないか?」 暴れようとするぼくを難なく往なして、軽々と触れてくる影守さんの手を掴みながら、苦し紛れに最後の抵抗を口にした。 「か、影守さんって、使うエーテルは冷たそうなのに、てのひらはあったかいですよね」 すると呆れたように、奇跡的に追撃の手がゆるめられる。 「片山、話題転換ならもっと上等な文句でしろ」 「いえ、そんな、ほんとに」 攻撃の意思がなりをひそめたのにほっとしていると、複雑そうに言葉が続いた。 「そんなの当たり前だろう、俺だって人間だ。お前、俺を雪女か何かと勘違いしてないか?」 「はぁ、それを言うなら雪男じゃあ…」 「雪男は一般的にヒグマをモチーフとした獣人で、手の温度どうこうなどとは言われないだろう?」 「まあ、たしかに」 なるほど、言われてみると雪女の多くは美しい身なりをしていると聞くし、案外このひとにはぴったりかもしれない。 「それを言うならお前だって、あんな100W電球みたいなエーテルを使うくせに、今はこんなに冷えてるじゃないか」 「そりゃ、冷房もききすぎてるし、さっきまで布団から出てましたから…」 聞いていると、なんだかとても馬鹿なことを言ってしまったようにおもえてきて、なんとなく居心地が悪くなる。 「だろう?俺だって寝起きで体温が高いのは当然だ。大体エーテルなんてものは、そいつ自身の自覚の問題で、理論的にはどんな風にも具象化できるはずだ。そうだな?」 「ううう、ごもっともです」 ずいぶん丁寧に徹底的に言いくるめられてしまった。楽しそうに揮われるこの弁舌はもしかして、攻撃をやめた右手の代わりに、さっきの失言への仕返しなのだろうか。 それでも雪女のように最後は溶けてさようなら、なんてことには到底なりそうもないこのひとを見て、密かに安心した。自分のたわいもない想像にほっとして、それこそ馬鹿みたいだとおもう。 しぶしぶぼくが折れるとそのまま、会話は途切れて、影守さんはそのあたたかい指先でぼくの頬を撫でている。 すっかりぼくにも移りきったその体温がきもちよくて、おもわずうとうとしかける。 が、すんでのところでなんとか目を開けた。 だめだだめだ、二度寝はしないんですってば。 「影守さん、そろそろ起きましょう」 「なんだ、つい今寝かけてたくせに、やけに活動的だな」 「早起きするつもりはなくても、二度寝するつもりもないでしょう?もう起きましょうよ」 そう言って、影守さんの分も布団を跳ね除けた。 上体を起こすと、窓からは変わらずきらきらとキレイな朝の光が差し込んでいる。 だいたい、こんな天気のいい夏の日に、クーラーのききすぎた部屋で布団にくるまっているなんて不健康にもほどがある。 影守さんも仕事上、時間の使い方はわきまえているひとだ。第一、無駄な時間が何より嫌いなこのひとだから、とくに不満そうな様子もなく素直に起き上がった。 ふと、なんだかよく分からないままに、朝の挨拶もしていなかったことをおもいだす。 「おはようございます、影守さん」 「もう九時か。どちらかと言えば、おそようだな」 相変わらずの物言いに苦笑しながら、寝台から足を下ろす。 そうだ、こんな儚げの欠片もない、雪女じゃない影守さんは、わざわざこの寒い部屋に閉じこもっている必要はないんだから。 貴重な共通の休日、予定通りでかけなければ。 また今日も暑くなりそうではあるけれど、明るい太陽の光もおいでおいでと外に誘っている。 朝日の当たる影守さんのちいさな寝癖を見ながら、もしや自分も同じ状態なのではとおもい到った。 一先ずちゃんと顔を洗ってから、朝ご飯にしませんか? ---------- クーラーのききすぎた部屋で布団にくるまって、不健康にひきこもっているとはまさにわたしです。 ひろきたんと影守は直毛派っぽいので、寝癖は少なさそうな。 あ、でもひろきたんは柔らかそうだから、結構盛大かも。 影守のは、なんていうか…刺さりそう(わたし影守ファンですけど!) →もどる |